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中島宏著『クリスト・レイ』第9話

 その点、エンリッケはまるでそういう目的も持っていなかったし、元々遊び半分というところもあったから、まず、長続きはしないだろうとマルコスは見ていた。案の定、その通りになった。五ヶ月ほど経った頃、仕事の方が忙しくなったからというような口実を設けて、早々と辞めていってしまった。
 ケンゾーの方は、マルコスたちとは違って別のクラスであり、正規の授業でもあったから、その取り組み方も違っていたが、それでもやや、あごを出し始めたという雰囲気になりつつあった。言語を覚えるのは、並大抵のことではないということが、この辺りの段階になってくると切実に感じられるようになる。何のために日本語を勉強しなければならないかという疑問が僅かでも湧いてくると、そこから先の道は急に険しくなっていく。それはすべての人々が経験することでもあった。
 そんな中で、確固たる目的を持つか、本当に興味を持って進んでいくというタイプの者は、まず、途中で落伍することはない。むしろ逆に、その辺りから面白さが増して、のめりこんでいくというような状況になり始める。マルコスの場合がまさに、それであった。
 教える方のアヤも、彼の意外なほどの上達の早さに驚いている。
 結局、十三人ほどで始まったこの日本語塾は、一年経つうちに、半減してしまっていた。もっとも、新しく入って来る生徒もいたから、数の上では常に、同じような状況ではあったが、実質的には一年で半分が、ふるいにかけられるようにして消えていった。  不思議な教会への好奇心から始まっていった日本語の勉強は、マルコスにとって勉学の面白さに繋がっていくことになり、それは日々の心の充実さにも通じることになっていき、彼にとっては思わぬ満足感を味わう結果となっていった。
 もちろん、父親の仕事の手伝いはずっと継続しており、それが疎かになるということはまったくなく、むしろ最近はその方面でも張り合いができたような感じになり始めていた。
 日本語を勉強して何になる、何のための日本語か。
 初期にあったそのような疑問は、勉強していく間にすっかり消えうせ、勉学そのものが楽しいというふうに変わっていった。それはマルコス自身が意外と思うほどの変わりようであったが、結局、彼の場合はそのような学究的な面を元々持っていたということであろう。
 ただ、そうであるにしてもこの場合、それが将来、学者として伸びて行くというようなことにはなるはずもなく、あくまでこれは、マルコスの個人としての趣味的なものを超えるものではなかった。これは、ひとつのきっかけということであったのだが、しかし、その後それによって彼の思考と視野が、思いがけないほどの広がりを見せていくことについてはこのとき、まったく想像すらしていなかった。
 日本語塾では、日本語の基本的な会話から始まっていき、読み書きへと入っていったが、マルコスは特に文字というものに魅せられるようにして引き込まれ、それを覚えるのに夢中になった。カタカナや漢字の形や意味に、ある種、神秘的なものを感じ、それを探求するのに興味が尽きなかった。

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