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中島宏著『クリスト・レイ』第33話

 たしかに、最初はこの教会の異様さに驚いて、それを調べてみようという動機があったのだが、それがいつの間にかアヤを通じた形のものに変わって行き、やがて、その背景の探求も、知らぬ間にアヤを中心とするものに変わっていったのである。
 いつの頃からそのような変化を見せるようになっていったのかは、マルコス自身、はっきりした記憶はない。ただ、間違いなく言えることは、その変化が急激なものではなく、時間の流れの中で少しずつ育まれるようにしてゆっくり現れていったということである。それは、日本語を教える側のアヤから発信された波長が、マルコスの心の琴線に届いたということであったのかもしれない。
 まず、マルコスが最初に感じたのは、アヤという若い女性の存在に対する不思議さということであった。たとえ塾のようなものであるにせよ、日本語を教える先生としては、彼女が随分若いという点にまず注意を引かれた。さらには、その若さにもかかわらず、教え方に一貫した筋が通っており、それが極めて堂に入ったものであると同時に、何かその年齢にはそぐわない落ち着きと自信とがあったという点に、彼は少々驚かされた。
 彼の日本語の勉強が、思いがけないほどに熱が上がり、同時に早く上達した背景には、このアヤの指導の方法が大きく物を言っていたことは間違いない。その辺りがマルコスにとっては不思議であり、そこからアヤに対する興味が徐々に大きくなっていった。
 彼女はいったい何者なのか。大げさでなくマルコスは、そんな思いをアヤに持つようになった。それは好奇心のようなものから始まっていったのだが、いつの間にかそれは、驚きと敬意が交じり合った気持ちに変わっていった。
 知的な刺激を受けたということもあったが、それ以上に彼はアヤの中に、人間的に何か、他の人たちとは違うものを感じ取っていた。
 それが何であるのかは、はっきりと表現できなかったが、彼が捉えたアヤの波長には、ひどく暖かな人間臭いものが存在し、同じようにそこには、求心的な流れが存在していた。あるいはそれは、彼女の持つ宗教的なものから発信されているものかもしれないのだが、マルコスにとってはそれが、アヤの持つ人間性から生じているというふうにも考えられた。
 ただし、そこまでの段階では、個人的な感情が入り込む余地はなく、そこにあったものは、あくまでアヤという先生に対する賞賛であり、尊敬の念であった。
 それが、時間の経過とともに、そこに男女を意識するというような感情が芽生えていったのは、やはり二人に共通する若さのせいだったのであろう。それは自然の成り行きであったのかもしれない。もっとも、その感情の動きは決して激情的なものを伴うものではなく、あくまで表面的には明確なものを見せないというような雰囲気にあったから、第三者からそこに恋愛感情のようなものが介在しているということに気づかれることはなかった。
 それはある意味で、マルコスの性格的なものが影響していたともいえる。
 どちらかというと内向的な面を持つ彼は、派手に振る舞って目立つタイプではなく、それとは逆の、存在感の薄い、寡黙なタイプの人間といえた。しかし、勉学に関しては異常なほどの熱心さを見せ、そのことは彼の性格の中にある芯の強さを示しているようでもあった。一つのことに集中し、それを一途に探求しようという姿勢は、あるいはアヤもいうように、学者に向いた性格であるのかもしれなかった。

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