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中島宏著『クリスト・レイ』第112話

「それに比べると、あなたや、このゴンザーガ区に住む人たちは、まったく動揺してないように見えるけど、それはなぜでしょう」
「全然、動揺がないというとウソになるけど、でも、私たちの場合はもともとこのブラジルに根を張って、遠い将来を見据えた生き方をしようと考えているし、それが心の中の核みたいなものになっているから、少しのことぐらいでは気持ちを変えるということはないの。一時的な現象で右往左往していたら、とてもこの大地に根を張るなどということはできないでしょう。私たちの目的はもっとずっと遠い所にあるわけね」
「そういう気持ちはよく分かるけど、でも、今起きてることは、あなたたち外国人にとって決して小さなことではないし、簡単に無視できるような問題でもないと思いますがね」
「外国人に対する規制が強くなったといっても、ブラジル政府が私たちすべてを、この国から追い出すなどということはあり得ないことでしょう。現実に、そんなことできるわけもないし。だったら、ここは静かに情勢を見守って、いたずらに慌てたり騒いだりしないということね。そうすれば、この国がどういう方向に向かっていくかということも、冷静に判断できると思うの。それとも、マルコスはこれから先、もっとひどくなっていくと考えてるのかしら」
「あ、いや、ひどくなるということは考えられないけど、ただ、あなたたちのような外国人にとって、何かと問題が起きてくることにはなりそうですね」
「問題というと、たとえば、どんなことなの」
「たとえば、あなたたちの場合だったら、母国語である日本語は使ってはいけないとか、その辺りまでの規制が出てくる恐れはありそうですね」
「じゃあ、それは、ドイツ人とかイタリア人の人たちにも同じように適用されるわけね」
「もちろん、そうなります。外国人すべてが対象ということですから、当然でしょう。実際に今、起きつつあるのは、外国語による新聞だとか、外国語学校だとかというものがすべて、禁止されるという事態になってきていますから、その次に来るのは外国語を使用することについての規制ということになるでしょう」
「そうなると、確かに問題ね。でも、どうしてそこまで規制しなければならないのかしら。まあ、ここはブラジルだから、その国語であるポルトガル語を話さなければいけないということは理解できるけど、でも、この国に来てまだ日が浅い外国人移民たちに、そこまで強制するのはちょっと行き過ぎじゃないかしら」
「その辺が、今はやりのナショナリズムということなのでしょう。この流れは思った以上に浸透して来てますからね。ちょっと不気味な感じはありますね。何しろ、この半世紀の間に急激に外国人が増えましたから、それに対する反応ということは言えます」
「反応というとその場合、拒絶反応ということなの、外国人に対する」
「うーん、拒絶反応とは一概にいえないかもしれませんが、今までの太平の雰囲気から、多くの外国人が押し寄せてきたことによって、この国全体が騒然としたものになってきたから、それに対する警戒心といったものかもしれませんね。
 それは、ある意味で当然の流れともいえるでしょう。つまり、この外国からの移民の大きな流れが、ここに住むブラジル人を目覚めさせたというか、自分たちの国ということを我々自身に意識させたということなのでしょうね。それがいま、起きつつあるということですよ」
「でも、そのブラジル人といっても、たとえばマルコスでもそうだけど、元を辿っていけば結局ほとんどが、移民の人たちに繋がっていくわけでしょう。

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