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特別寄稿=皆が幸せに全うできるために=外国人福祉の重要性について =⼀般社団法人日本海外協会=代表理事 林 隆春

工場労働する外国人(参考写真)

 私が日系のブラジル人のみなさんと初めて関わったのは、1985年、軍政が民政に移行したまさにその渦中でした。「ブラジルの奇跡」と言われた時代の高揚感はどこにもなく、200〜300%(1989年には2000%近く)のインフレに翻弄され、日々の生活が精⼀杯、そんな時に訪伯したのです。
 その時の通貨はクルゼイロ、半年経てば紙屑になるお金を当てにしても生活は成り立たない。「安定した円で人生を立て直そうよ」と日系のみなさんに声をかけて、私の出稼ぎビジネスは始まりました。
 折しも日本は1990年のバブル崩壊に向けまっしぐら、「日系人良し、企業良し、私も儲かったの三方良しビジネス」、私はこれが天職とまで思い込み、この仕事に邁進することとなりました。
 1990〜1993 年にピークを迎えた第⼀次出稼ぎブーム、その人たちが現在60〜70歳代になり、老境を迎えています。ブラジルでは栄養学や公衆衛生を学ばないのか、日系の人たちは私たち日本生まれより5〜8歳ほど早く衰えるような気がします。
 お墓や老人ホームの話題が日本の日系社会で散見されるようになりましたが、ブラジルのアイデンティティを持たない子どもや孫が育った以上、好むと好まざるとにかかわらず日本に骨を埋めようとするのは至極当然のことですね。
 しかし、一方ではゲストワーカーとして扱われ、最後を日本で終わりたくない日系ブラジル人もたくさんいます。

民政移管後のブラジル経済の推移

脆弱な日本での老後

 タクシー会社の役員をしている知人と話していて、「林さん、運転手は人生の最後は、最初に運転手になった場所に戻ってくることが多いよ」と言われたことを思い出します。最晩年をブラジルに戻って終えたい人もそれなりにおられるようです。ブラジルで日本からの帰国者の老後を支える組織の必要性が高まっています。
 1989~1993年の第⼀の山が人手不足のお手伝いであったなら、第⼆の山1996~2008年にかけての出稼ぎは、日本企業生き残りのための総額人件費の冷やし玉でありました。この2回の出稼ぎブームの受入れ側の思惑は全く違います。
 賃金も10%以上下がり、この時期の入国者の社会保険加入率、厚生年金加入率がいかに低かったか、多くが日本企業のコストカットの犠牲者なのです。
 現在50〜60代の日系人のみなさんが老いて⼀番の不安は、日本人であれば当たり前にある年金というセーフティネットが、彼らには弱く脆いものしか用意されていないことです。
 厚生年金が10〜15年しかかけていない人たちが圧倒的に多い現実を見ても、雇用した企業、社会保険事務所、労働局の無策、怠慢が見て取れます。
 「自己責任」といいますが、誰の自己責任か、それをどうやって償い、コミュニティを支えるのか、重い課題が私たちに課せられています。

リーマン後に骨抜きになったコミュニティ

 非正規、派遣労働、単純労働市場のみ労働市場を日系外国⼈に開放した日本は、2008〜2009年のリーマンショック時、日系人を大量解雇、⼀時的には瞬間風速で90%近い人たちが路頭に迷うことになり、日本政府が採用した対応の最も大きな予算は帰国支援事業でした。
 官費で2万1675人(うちブラジル人2万53人)が帰国(厚生労働省「日系人帰国支援事業の実施結果」より)、呆れて自費で帰国した人々もおり、2008年末に31万 2582人いた在留ブラジル人は、2009 年末には26万7456人へと大幅に減少。その対応で日本の日系人社会は致命的なダメージを受けることとなりました。
 仕事もなく寮を追い出された人たちは、藁をもつかむ思いでブラジル帰国の話に乗りましたが、10年も15年も日本にいてブラジルに帰ってもほぼ外国人扱い、帰国後に辛酸をなめることになるのは火を見るよりも明らかでした。
 私たちの調査でも、およそ95%の人たちは「帰らなければ良かった」と述べています。そして日本は、その人たちに「3年再入国を認めない」と言いましたが嘘ばっかりで、5年も8年も認めることはありませんでした。
 日本国内においては、メンター(先輩助言者)の役割を果たしてきた人たちの多くが、日本に見切りをつけて帰国しました。派遣会社でも有能な管理者がいなくなり、コミュニティのリーダーも、NPO主催者も、宗教指導者まで帰国し、日系人社会は⼀気に崩れ、流浪の民と化すこととなりました。
 日本に残った人たちも仕事と住居を失い、通っていた学校を中退する子どもも急激に増え、日系人社会が難破船のごとく漂流を始めたことは多くの人たちが理解していますが、
誰も手を打つことはありませんでした。
 UR住宅や公営住宅等の集住団地には日系人リーダーが居て、自治会のみなさんは彼らと話をすれば多くの問題は解決できましたが、現在は優秀な日系人であることを隠し、日本人として生きることを選ぶケースが増えています。

企業・従業員の雇用・勤続に対する考え方

今はずる賢く、兵糧攻めで退職に誘導

 ある日、集住団地に残された子どもたちに、「大きくなったら何になりたいの」と聞くと、「派遣会社の通訳になりたい」と楽しそうに答えました。私が「あと10年して君が大人になったとき、その職業はなくなるよ」と⾔うと、キョトンとしていました。それほど身近にメンターがいなくなると、目標も夢もなくなっていくのです。
 そして、今回の新型コロナウイルス禍です。今回のコロナ禍では、企業はリーマンショック時と比べ数段賢く、狡く、そして悪辣になってきています。下図をご覧ください。私たちが愛知県の知立団地で2020年5月〜6月に調査した雇用状況です。
 企業側は解雇してはいません。1週間に5勤2休が、最大2勤5休まで休ませ、兵糧攻めで退職に誘導しています。当然学齢期の子どもたちは退学や休学を余儀なくされます。お年寄りと同居していた親子も世帯分離してお年寄りと母子家庭になり、生活保護受給へと追い込まれ、どんどん世帯分離が進み、孤立化の道を辿りつつあるのが現状です。
 日本の福祉情報は彼ら彼女らに届かず、各種行政の施策、雇用調整助成金、緊急支援基金、生活保護、フードバンクなどを利用する術も知らない人たちが多数、私たちの団体に押し寄せることとなります。

知立団地アンケート調査結果

外国人にもセーフティネットを

 日本人であれば当たり前にあるセーフティネット、安心社会を外国人にもどんな形で適用すれば良いのか、先月ベトナム人技能実習生が家畜を窃盗した事件も、実習生を解雇したり失踪に追い込んだ業者を責めずに、なぜ実習生を責めるのか。
 私たちは彼らにも食の支援をしていますが、働いてもダメ、ボランティアで農業を手伝い、大根などをもらって帰っても、継続的に行えば業とみなされるのでダメ、ダメ、ダメ、ダメと追い詰め、彼らが行った生存のための究極ともいえる行為を自己責任と糾弾することが人の道なのか。
 彼らに安心社会は必要ないのか。外国人のみなさんも法外な欲望、欲求は望んでいません。働く場が欲しい、安心して子育てがしたい。どんな仕事でも文句を言わない。解雇の不安がない安心が欲しい。老後も安心して暮らせ、幸せ感を持って人生を全うしたい。
 そんなささやかな希望に応じられないような国が外国人を呼んではいけないのです。日系人のみなさんが希望を感じられる社会をどう築くのか、私たちに突き付けられた課題は重く大きいのです。

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