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中島宏著『クリスト・レイ』第130話

「ハハハ、、、マルコスも段々、ナショナリズムに洗脳されていくような雰囲気になってきたわね。まず、このブラジルの将来を考え心配するのは、すでに立派なナショナリストといえるわ。まあ、行き過ぎは困るけど、愛国心が徐々に燃え上がるようにして高揚していくのはいいものね。
 ブラジルは、移民によって大きく発展してきたことは事実だけど、この辺りでブラジル人の存在を証明するような、この国の多くの人間が各方面で出現し、活躍していく時期に来ているのじゃないかしら。マルコス、もちろん、あなたもその中に入ってますよ」
「僕も、その仲間に入れてもらえるとすれば、それはすごく名誉なことであるけど、さあて、どうかな。そこまでの力のある人間でもないし、大した期待は持てないんじゃないかな」
「そんな弱音を吐いていては、この国の将来は寒々としたものになってしまうわ。
 別に、偉人とか有名人になれという意味ではなくて、それぞれの分野で、それぞれに合ったレベルで、最善を尽くしていけば、それがつまりは、このブラジルの国の社会の中での存在を証明するということになるでしょう。そういうことが今、あなたのようなブラジル人に求められているのです」
「そうだね、そういう意味でいえば確かに、僕にもそのような使命があるといえるね。
 まったく、アヤ、君の言う通りだよ。しかし、それにしても、なぜこの僕が、外国人であるアヤに発破をかけられるということになるんだろうね。そういう発想は、立派にブラジルのナショナリストのものだよ。僕よりアヤの方がよほどブラジルのことを考えているという感じだな」
「あら、人を変な外国人だと言って置いて、その外国人に感心しているマルコスもかなり変よ。私はね、外国人として意見を述べてるのじゃなくて、これからは私の国になって行くであろう、このブラジルの住人として物を言っているのです。それが、ナショナリスト的なものであろうとなかろうと私には関係ないけど、この国を思う気持ちにはピュアなものがあるわ」
「なるほど、そこにアヤの変なところが、際立って見える原因があるわけだ。
 今の君の意見はもはや、外国人のものではなく、それこそピュアなブラジル人のものだね。そうなるとこれはもう、君のことを外国人として見るのは間違っていることになるね。もちろん、そこには、ブラジル人であるこの僕に対する遠慮とか、外交辞令的なものがあるなどということはないし、君の言ったことは文字通りそのまま、素直に受け入れられるものだよ。それにしても、そこまで明快にブラジルへの同化を考えられるのは、やっぱりこれは普通ではないよ、アヤ。
 まあ、隠れキリシタンの人たちは、最初から日本には帰る意志がないことは、君から聞いて知っていたけど、それにしてもアヤのように明確な思考と態度を持つ人たちは、そんなにいないのじゃないかと思うけど、どうなのかね、その辺りは」
「そうね、はっきり言って、皆の意見をすべて知っているわけじゃないけど、ほとんどの人はまず、日本へ帰るということは考えてないでしょうね。
 私たちはこの国を、新しい人生が始まる重要な世界だと位置づけているから、それを途中でやめてしまって後戻りするということは、あり得ないことなのね。だから、たとえこの国での状況が私たちに不利になっても、それだけの理由で引き返すことは考えられないわ。私たちの目的は、そういう卑近な所ではなく、もっと、かなり遠い所にあるの。

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