ホーム | 文芸 | 連載小説 | 中島宏著『クリスト・レイ』 | 中島宏著『クリスト・レイ』第151話

中島宏著『クリスト・レイ』第151話

 それはたとえば、日本から来た農業移民の人たちが、この植民地のようにまず自分たちだけで固まって、同じ所を開拓して農場を造っていくということにも似ているのじゃないかしら。彼らにとっては、その方が安心だし、同じ国から来ている気心の知れた人たちと一緒に仕事をすれば、間違いないという考えがあるから、結局、こういう形のものが出来上がっているわけね。
 しかし、さっきも言ったように、これはあくまでひとつの過程であって、この形がこれから何十年後も同じ姿で残っているかというと、まず、そんな可能性はないでしょうね。いずれこういう形も時間の経過とともに同化され、消えていくことになるでしょう。
 それはね、ドイツとかイタリア、あるいは東ヨーロッパから来た移民の人たちを見ているとよく分かるの。たとえば、マルコスのお爺様でも、移民して来た当初は同じイタリアから来た人たちと一緒だったでしょうけど、年が経るとともに、それぞれがあちこちに散らばっていき、いつの間にかいろんな地方にばらばらになっていったわけでしょう。つまりそれが、この国への同化ということになるわけね。
 クリスト レイ教会も、今はこの植民地の農場にいる大勢の人たちの協力で出来上がり、そして維持されていくのでしょうけど、でも、将来はどうかしら。ここに日本移民の人たちだけが世代を超えても永遠に住んでいくことなど考えられないでしょう。この植民地からもいずれ、日本人が消えていくこともあり得るのじゃないかしら。まったくゼロになることはないにしても、日本人の存在が薄くなって行くことは十分考えられるわね。
 別に私は悲観論者じゃないけど、この国の移民の人たちの流れを見ていると、結局、そうなっていくことは避けられないことだと私は思ってるの。むしろそういう、人々が拡散していく現象というのは、それぞれの発展を意味するということで、いいことじゃないかしら。そういうことが、このブラジルという国が発展する上でも必要になっていくでしょうね。
 あら、話があちこちに飛んでしまって、まとまらなくなってしまったわ。
 随分、長いこと一人で喋ってしまったけど、これで少しは私の過去が分かってもらえたでしょうか。別に立派な過去でもないけど、私がどういう人間かを知ってもらうには、ある程度参考になったとは思うけど。
 でも、こういう物語は、内容の差こそあれ、大なり小なり移民の人たちがすべて抱えているものではないかしら。私のそれは、その中のほんの一つということで、特別のものでもないわ。ただ、もう一言付け加えるとすれば、国を移して新しい人生を始めることは、その人間にとってすごくエキサイティングなことであり、高揚感があり、興奮もし、新しい世界を切り拓いていくという大きな満足感も間違いなく覚えるけど、同時にまた反面、それまで育って来た国との落差が想像以上に大きなものであるということを否が応でも認識させられるという点があるわね。
 それは、実際に経験することによって初めて分かるものだけど、そこには、文化とか習慣とか、思考の違いとかによるカルチャーショックがあることは間違いないわね。

image_print