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安慶名栄子著『篤成』(10)

 私の父にとってはこの上ない手助けであったのです。当時私が2歳、よし子が3歳、恒成が5歳で末っ子のみつ子はやはり一番手のかかる歳でした。
 そのようにしてみつ子は遠くに住んでいた比嘉のおばあちゃんの家で暮らすようになったのです。母親を亡くしたばかりの私たちにとっては「おばあちゃん」の存在は実に心の癒しになってくれました。
 おばあちゃんは、時間の許す限り私たちのところに遊びに来てくれました。約20キロの距離をみつ子をおんぶして歩いてきてくれたのです。どんなに力強く、そして辛抱強い方だったことか。
 私たちの家に着くとおばあちゃんは、背中に幅の広い、長い布でおぶってきた小さな「小包」を下ろし、私たちの腕の中にのせてくれるのでした。私たちが久しぶりに会う幼いみつ子と遊んでいるうちにおばあちゃんは炊事場でおいしい食事やおやつなど、いっぱい作ってくれました。そして、炊事だけでなく、おばあちゃんは洗濯までしてくれたりして約一週間家で過ごしてくれました。一週間が過ぎるとまたみつ子を負ぶって帰っていくのでした。
 おばあちゃんが来てくれる時の私たちの喜びは二人が帰っていく時の寂しさに比例していました。おばあちゃんとみつ子が帰っていくと私たちは喪に服する心境になってしまうのでした。おばあちゃんが与えて下さっていた温かさや食べ物の美味しさ、あの愛情のきらめきが冷たい、やるせない空虚に一変するのでした。残されるのは、彼女たちがまた来る日を楽しみにすることばかりでした。それは一か月後にやっと実現するのでした。
 父としては、できる限りのことをしてくれました。毎朝暗いうちに起床し、私たちの食事の用意をして、すべての準備が整った時点で私たちを連れて畑へ行くのでした。私達は一日中父と一緒に過ごし、父の仕事が終わると、また一緒に家へ戻るのでした。
 私の幼い頃の良い思い出の一つとして父が薪ストーブで焼いてくれたケーキが鮮明に残っています。生地をフライパンに入れ、ふたをして上から炭火をかぶせて焼く。様々な苦難の続く日々を送りながらも父は常に私たちに深い愛情を注ぎ、温かいひとときを共に過ごすよう心がけていました。おそらく母が残してしまった私たちの心の穴を少しでも埋めてあげたい、という思いやりから来ていたに違いありません。
 そのうちに母の四十九日の法事の日がやってきました。
 法事が終わった後、日が暮れて参列して下さった方々が段々と別れを告げていた時に父が子供たちの確認をしようと、ふと辺りを見回すと、私がいなかった。父は即座に私を探し回ったが、見つからなかった。行方不明になっていたのです。
 私は、幼いころから行動力に富んでいたというか、自立心が非常に強く、根っから散歩や旅行など、いわゆる新しい場所や人に接することが好きだったのです。そしてその日も例外でなく、私はいなくなっていました。

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