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安慶名栄子著『篤成』(12)

私たちとガスパール家の子供たち。前列左から栄子、恒成、よし子

私たちとガスパール家の子供たち。前列左から栄子、恒成、よし子

 想像力も豊かでした。世界は私たちのものだったのです。現代の幼児期とは全く違っていました。
 田舎では、遊び疲れると心地良い陰がある大きな倒れ木のそばで寝転がって一休みするのでした。当時の田舎ではあちこちで大木の切り跡が残されている光景は普通でした。
 とても残念な話ですが、栽培のために多くの素晴らしい樹木、時には樹齢数百年とも推定される巨樹までもが切り倒されてしまったのです。
 ただし、現在の森林破壊とはまるっきり違う状況でした。
 私たち日本人移民は貪欲、あるいは野望など、唯々利益を上げようとして樹木を倒したりしたわけではありませんでした。米(陸稲)を植えるには、やはり生い茂っている草木は除かねばならない。当時のブラジルは原生林の山続きであり、せめて植え付けをする部分の原始林は全部伐採せねばならなかったのです。
 このように畑とする土地にあった樹木は、仕方なく倒されてしまいました。でも幾千年の歴史を持つ日本人の考え方としては、自然と一体化して生きていくことの大切さ、特に一番大事なことは森林や植物への敬意と感謝の文化が深く根付いていることでした。
 さて、自然に囲まれた環境での遊び以外に、父が布で作ってくれた人形もありました。そうです。私の大好きなお父さんは私たちに、頭の部分だけであっても、布で人形を作ってくれました。父が頭の目と鼻と口はインクで塗ってくれ、私達は首から下に残された布を利用して、自分たちで別の布切れを丸めて体を作って遊びました。実際、あの人形は毛布に包まれた赤ん坊のような形をしていました。
 ある年のクリスマスに、ガスパールさん一家が私たちに本物の人形をプレゼントしてくれました。ガスパールさん一家の優しさと心配り、あの感動は今でも忘れられません。私たちはそれまで本物の人形を見たことがなかったのです。それだけでなく、色々な祝い事にはいつも私たちを交えて下さったのです。例えばイースターの時に、必ずガスパール夫人が作ったクッキーやチョコレート、緑と赤と青で塗られたゆで卵などがいっぱい詰まった帽子をその辺の草むらに隠し、めいめい自分の帽子を探し回る遊びがありました。この上ない愛情と美味しさが混じった楽しい思い出です。
 あの頃の心配りを少しでもお返ししたい今日この頃ですが、ガスパール家の人々は、残念ながらほとんどが他界されました。にもかかわらず、エルザとヌキの話はいつでも思い出話に登場し、子供のころの幸せいっぱいの日々の事を語り合ったりします。
 そして、一つ書き残しておきたいのですが、現代のどのお菓子でも、あの頃の帽子に隠されたお菓子や卵に勝るものはないと断言できます。

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