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安慶名栄子著『篤成』(39)

 父の親友が亡くなった後も、私たちはよくバウルーまで行って新垣さんのご家族の皆さんを訪ねて親しく付き合いました。さまざまな時代の様々なきっかけにより、バウルーという町はとても親密な場所になりました。
 私は数回スペインへ行く機会に恵まれましたが、そんなある時、バウルー出身のマルシアという方に出会い、彼女は私の家族全員と親しくなりました。マルシアのお父さんが80歳の誕生日を祝う時には、私と父と軍人のパソス曹長、3人でバウルーまで行ったことも懐かしく思い出されます。
 父の米寿祝の時には、兄の家族が大々的なパーティーを催してくれました。ブラジル沖縄県人会本部大ホールは父の親類、親友でいっぱいになりました。その時には沖縄からも恒信叔父夫婦、父の甥にあたる一男と顕、そして姪の壽美江と久恵とそのご主人の文雄さんが来て下さいました。家族にとってはこの上ない喜ばしい出来事でした。
 父の米寿祝は忘れられない豪華なお祝いでした。ひ孫たちが色々な演奏を披露しましたし、他にも沖縄の伝統的な歌や舞踊が数多く演じられました。琉球舞踊家斎藤悟先生も素晴らしい踊りを披露して下さり、一生忘れられないお祝いになりました。
 ブラジルまで来て下さった親戚にブラジルの良い観光地を紹介するのは全く難しい事ではありませんでした。父を初めてイグァスの滝へ連れて行ったときに、「兄にこれを見て欲しかったなぁ」と言ったのを覚えていましたので、もちろん、そこへ皆を連れて行き、父のもうひとつの夢をかなえてあげる事が出来ました。
 日本から遥々いらして下さった親戚の方々はもちろん素晴らしい絶景に驚嘆し、父も本当に喜んでいました。

第26章  曾孫達と共に

 いよいよ私の孫たちや兄妹の孫たちも私たちと一緒に遊びに連れていける時期が来ました。カヴェルナ・ド・ディアーボ ( カナネイアの洞窟 ) やゴイアース州のポウザーダ・ド・リオ・ケンテ ( 温泉ホテル ) とか、いろんな所へ行きました。
 曾孫たちに囲まれた父は本当に幸せそのものでした。思い出によく残っているのは、ゴイアース州のカルダス・ノーヴァスのプールでにぎやかに遊ぶ子供たちを見ながら、父はずっと微笑みながら見つめていました。子供たちは皆7歳から9歳の間だったので、本当に遊び盛りでした。
 カヴェルナ・ド・ディアーボでは、子供たちは初めての経験ではなさそうに大はしゃぎでした。それからミナスの州都ベロ・オリゾンテから歴史的な街も巡りました。
 父がサンタ・カタリーナ州のドイツ系人が多いポメローデまで行ってみたいというので、そこまで行ってきました。そこで味わった食事は、ブラジルに来た当時のドイツ系やオーストリア系の方々とお付き合いした頃が思い出され、とても懐かしそうにしていました。
 リオ・グランデ・ド・スール州の色んな町にも行きました。父は植物が好きなので、カネーラという所までの道をずっと車で走りました。そこは道路の両側にアジサイがずらりと咲き乱れ、素晴らしい光景だと知っていましたので、ぜひ父に観てほしかったのです。

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