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キノコ雑考=ブラジルに於けるキノコ栽培の史実とその背景=元JAIDO及びJICA 農水産専門家 野澤 弘司 (17)

植物学者、橋本梧郎氏から野澤氏への手紙

植物学者、橋本梧郎氏から野澤氏への手紙

胎動期;1963〜71年

 夏場栽培キノコの探索で、名も無いキノコと遭遇と同定。
*)1963年;古本が名もないキノコと遭遇。即ち、サンパウロ近郊の標高は約800mだが夏場の気温は30〜35℃に達し、マッシュルームを栽培する菌舎の内部温度は菌糸の正常な生育上限の23℃を超えた。当時の日系人のキノコ栽培者は未だ菌舎に空調設備を設置する経済的余力は無く、低温に同調できる耐熱構造の菌舎も無かったのでキノコ栽培は夏場は休業して秋口から春先にかけての年間単作を余儀なくされ、栽培者は夏場栽培のキノコを求め里山を探索した。
 古本はサンパウロの西方約200kmのパラナピアカーバ山脈沿いの寒村ピエダーデで、古老の日系人より松茸に類似したキノコを提示され、毒キノコか否かを尋ねられた。現地では名も無い野生のキノコは全て毒キノコと見做されていたので、古本は食用になるとは即答し兼ねた。
 古老の予感では松茸に似ているので、もしかしたら食べられるのではとの一抹の期待はあったと思われる。このキノコが後日、莫大な恩恵をもたらしてくれた“アガリクス”との初めての出会であった。
 そこで古本は日を改めて古老の案内でそのキノコが自生する森を訪ねた。キノコは草むらの何箇所かに4〜5本ずつ群生しコロニーを形成していた。捻るようにもぎ取り匂いを嗅ぐと、鼻を突く匂いがした。菌傘は直径3〜4cmの褐色で、菌柄は白く丈は約5cmで、キノコ全体にぬめりを感じた。
 その後の古本と私の関心事は、この名も無いキノコが果たして毒キノコか否かであった。しかし我々は化学的手法による毒の有無の判別法を知らなかった。これより古本は当キノコを拙宅に持参して実際に食べ、生体実験によりこの名も無いキノコの毒の有無を確認する事にした。毒見した分量は古本との一蓮托生の運命とは云え、万が一の事態を想定すると雑念に負け予定の半分ほどだったが、結果は何らの体調異変も体感する事無く、キノコは無毒であるとした。
 この毒見については巻末の橋本先生からの書簡を参照されたい。かかる経緯により古本は里山に自生していた“アガリクス”の直接の発見者では無いが、運良く古老との出会いを機にアガリクスが次の経緯を辿り商品化が成就されたので、我々は古本をしてアガリクスの発見者または先覚者として敬服している。
1)夏場栽培のキノコを探索中、ピエダーデの日系の古老は古本がキノコの識者と既に知っていたので、「このキノコは毒キノコか否か」を尋ねられたので初めてアガリクスと遭遇した。
2)古老にアガリクスが自生していた現地の森に案内され、自生の状況を初めて確認した。
3)古老から依頼されたキノコの毒性の化学的判定法を知らないので、古本と野澤はキノコを食べて生体毒見試験の結果、両人とも何ら体調異変は感知せず無毒と判定した。(手紙参照)

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