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アジア系コミュニティの今(5)=「初期移民は日本語できる人多い」=台湾編〈1〉

劉俊男サンパウロ台北文化センター所長

劉俊男サンパウロ台北文化センター所長

 ひょんなことから、在サンパウロ台北経済文化事務所の蔡正文さん(1990年生、台北出身)に出会った。日本語が堪能なことにも驚いたが、中国語はもちろん、ポルトガル語は駐在6カ月にして流ちょうに話し、英語にも即切り替えられる話術、他にも韓国語、ベトナム語、インドネシア語など、天才的なポリグロッツだ。しかも中東問題など難しい話題にも対応できる語学力を持っている。アジアネットワークを積極的に広げようとする優秀な台湾人にすっかり興味を持ち、本紙で昨年より不定期で連載していた「アジア系コミュニティの今」の台湾編にしようと考えた。(大浦智子記者)

『巴西華人耕耘録(ブラジルでの中国人の栽培の記録)』

 日本と台湾は近い。1895年から50年続いた日本統治時代はさらに近かったのかもしれないが、今も友好関係にある両者なのに、ブラジルの日本人コミュニティの間で台湾人コミュニティの話は、今はあまり共有されていない気がした。それを蔡さんに話すと、快く協力を申し出てくれ、最初にサンパウロ台北文化センターの劉俊男さん(1967年生、高雄出身)が紹介された。
 劉氏は、2020年12月よりサンパウロ台北文化センター所長に赴任した。台湾から派遣された公務員で、2005年から3年間も同所長を務め、台湾に戻った後は韓国のソウルに7年間赴任し、常に海外在住の台湾人への行政サービスを担当してきた。
 学生時代は韓国語を専攻し、日本語は両親祖父母が話していたのを耳学問で学び、今は中国語(客家語、広東語、北京語)をはじめ、英語、タイ語でもコミュニケーションができる。

 「第2次大戦後、ブラジルで初期の台湾移民は日本語のできる人が多く、日本移民に助けられながら日本人と同じような存在でブラジル社会に統合されていきました」と説明する劉氏。
 同センターの受付の傍には、半世紀ほど前の台湾移民を紹介する紙面が張り出されていたが、全文が中国語だったため理解できないことが惜しまれた。
 劉氏は「華人と書かれていますが、様々な台湾移民コミュニティの記録です」と、中国語(繁体字)で書かれた『巴西華人耕耘録(ブラジルでの中国人の栽培の記録)』(1998年、美洲華報社)を贈ってくれた。
 最大の台湾コミュニティの組織は、カトリック教会、プロテスタント教会、バプテスト協会、客家グループであるが、同書には、さらに細分化されたブラジルの様々な台湾コミュニティの活動が記録されている。

サンパウロ台北文化センター

 劉氏が所長を務めるサンパウロ台北文化センターは、2003年に開館したリベルダーデ区サンジョアキン街の客家プラザ3階にある。同プラザは、台湾出身の客家メンバーが設立した。5階建ての2、3階部分は台湾政府が公式に所有し、4階は佛光山如来寺(Centro de Meditação Fo Guang Shan)のフロア。
 3階には休憩ロビーや図書館なども併設され、中国語を勉強するブラジル人や東洋人が中心に出入りする。センターの名称が「台北」とされているのは、ブラジルと台湾は外交関係がないため、中国との関係を配慮してブラジル政府が台湾の名称使用を禁止したためという。台湾は大使館や領事館という名前での公的機関も存在せず、ブラジリアとサンパウロにある台北経済文化事務所が、大使館や領事館に相当する役割を果たしている。
 「ブラジルの日系コミュニティと台湾コミュニティからも、さらに日本と台湾の友好を深めていきましょう」と、劉氏は台湾系コミュニティの興味深い面々を順次紹介してくれた。(続く)