グルメクラブ 2005年8月5日(金) 「バナナの値段(プレソ・ダ・バナナ)」という。「廉価でお買い得」の意味だから、その張り出し紙を店頭で見かけるとうれしい。ブラジルらしいひねりが利いている表現だ。 そんな言い回しが使われ始めたのはいつからか。と考えて思い出したのが『イエス・ノス・テーモス・バナナ』の一節だった。〈僕らには ...
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サンパウロの中のフランス=前編
グルメクラブ 2005年8月5日(金) 二十歳の頃、二カ月ばかり、パリをうろついていたことがある。 ハタチ。――若かった。 マグリット・デュラスの自伝的小説「愛人ラマン」の主人公のように、「十八歳でわたしは老いていた」わけではない。 かといって、「ぼくは二十歳だった。それがひとの一生で一番美しい年齢などとは誰にも言わせな ...
続きを読む »パラチでピンガを飲む「白馬の騎士」
グルメクラブ 2005年8月5日(金) パラチといえばピンガを意味した時代があった。 歴史遺産の旧港町とサトウキビ蒸留酒の名が、同義で使われていた。 例えば、一九三八年。カーニバルのヒット曲『カミーザ・リストラーダ』の中に次の一節が見当たる。 〈縞のシャツを着て/町に出かけた/彼はお茶を飲みトーストを食べる代わりに/パラ ...
続きを読む »ブラジル料理雑記―5―リオデジャネイロ(中)
グルメクラブ 2005年7月22日(金) 飲食店で大人が牛乳を頼まなくなったのはいつからか。今日、牛乳を飲む大人の姿を街中で見かけることはほとんどないと言っていい。 だから、七年前、映画監督の鈴木清順さんがサンパウロ市パティオ・デ・コレジオ内のカフェで「冷えた牛乳が飲みたい」と言ったときは、えっと訊き返した。 一九二三年東 ...
続きを読む »海岸山脈公園道の「別世界」
グルメクラブ 2005年7月22日(金) 青空の天井が迫ってくるようだ。近年「陶芸の里」として脚光を浴びるクーニャ市(サンパウロ市から約二百二十キロ)の標高千メートル以上をうねりながら走るスカイラインには、冬とは思えない強い日ざしが照り返していた。わたしたちの車はエンジン音を響かせ、周囲に広がる放牧地で午睡中の牛にカツを入れな ...
続きを読む »BOX32で飲んで「ドイツ」へ行こう
グルメクラブ 2005年7月22日(金) 来週には南部から寒波が来襲します。なんてニュースを聞くと、からきし寒さに対する抵抗力のないわたしは前途の多難を予感して、雨に濡れた子犬のようにブルブル震えていた。 そんな生来の虚弱体質男がこの冬の寒い時期でもいいから、カネとヒマさえあれば、すぐに南へ飛んでゆきたいと考えている。という ...
続きを読む »ブラジル料理雑記―5―リオデジャネイロ(上)
グルメクラブ 7月8日(金) ノエル・ローザはサンバの音楽家だった。「バラ色のクリスマス」の意味にも取れるメルヘンチックな名前だが、貧困、売春、犯罪、欺瞞といった人生の影の部分をよく表現した。愛の歌でさえしばし皮肉が痛烈で、苦味に満ちていた。 一九一〇年生まれの彼は満二十六歳で死んだ。石川啄木の享年と一致している。どちらも結 ...
続きを読む »団塊移民、その最後の晩餐
グルメクラブ 7月8日(金) 三十年のブラジル生活に区切りをつけ、「引き揚げ」を決意した団塊世代の移住者と食事した。 「こないださ。尾羽うち枯らして帰るのか、って友人に言われちゃったよ」 団塊は、薄くなった頭髪をかきながら言った。 オハウチカラス。私は心の中で復唱してみた。ひと刷毛の疲れがはかれた団塊の顔を見て、当らずと ...
続きを読む »南緯8度の新星ワイン
グルメクラブ 7月8日(金) ワインといえば「青」。そんな時期がブラジルにはあった。八〇年代から九〇年代にかけ、国内市場に出回った輸入ワインのおよそ六本に一本がそれだった。 LIEBFRAUMILCHといった。ドイツ語でリーブフラウミルヒ。たいていの人は発音できず、ガラス瓶の色を称し、「青」の名で呼んでいた。 甘口の、いわ ...
続きを読む »ブラジル料理雑記―4―ノルデステ(下)
グルメクラブ 6月24日(金) 一九三八年ペルナンブッコ州旱魃地帯の寒村で生まれた男の話について書く。 「ここでない何処かへ」は時代を問わない、万国青年の気分である。ジョゼ・オリヴェイラ・デ・アルメイダの場合は、青空と太陽と貧乏だけは売るほどあった不毛の荒野を鍬で耕しながら、その思いをだれよりも強くしていた。 旅費をなんと ...
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