2009年
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アマゾンを拓く=移住80年今昔=【ベレン・トメアスー編】=《20》=大自然の猛威再び=拡がるピメンタ病害
ニッケイ新聞 2009年9月23日付け 戦後最大の第2トメアスー移住地構想に続き、さらに1973年、第3トメアスー移住地計画までが起案され、郡庁と組合、文協の3者による準備委員会発足し、76年に造成
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アマゾンを拓く=移住80年今昔=【ベレン・トメアスー編】=《19》=母に問う、後悔してるか=「戦争が悪かったんだ」
ニッケイ新聞 2009年9月22日付け エリザベスサンダースホームから移住してトメアスーに残った最後の一人、中川純二さんは「みんな若いから週末は遊びたい。仕事で押さえつけるから反発して、みんな飛び出
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日伯論談=第19回=日本発=結城恵=自宅待機する子どもたち=橋のむこうの現実は
2009年9月19日付け 筆者の研究チームでは、文部科学省から委託を受け、ブラジル人学校の全国調査を行っている。昨年度の調査では、秋からの経済不況の影響をみるため、昨年十二月と今年二月の実態を調査し
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アマゾンを拓く=移住80年今昔=【ベレン・トメアスー編】=《18》=駐留軍孤児の希望託す=大磯のホームから8人
ニッケイ新聞 2009年9月19日付け 「ブラジルに来る一年前、美喜さんから『お母さんに会ってみるか』と言われてビックリした」。中川純二さん(62、石川県出身)はそう振り返る。沢田美喜さんを実母だと
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アマゾンを拓く=移住80年今昔=【ベレン・トメアスー編】=《17》=第2移住地の建設へ=戦後最大の壮大な構想
ニッケイ新聞 2009年9月17日付け アマゾン入植三十周年は胡椒景気の真っ直中であり、それにふさわしく盛大に祝われた。日本の代議士たちも戦後、東京にアマゾン会を発足させ、上塚司が会長になって懸命に
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アマゾンを拓く=移住80年今昔=【ベレン・トメアスー編】=《16》=世界の7%を生産=胡椒景気でアカラから独立
ニッケイ新聞 2009年9月16日付け 「胡椒景気で納税額が膨大な金額になったため、五九年九月からアカラ郡から独立し、パラー州六十番目のトメアスー郡となった。当時の州納税入郡としては、ベレン市、サン
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アマゾンを拓く=移住80年今昔=【ベレン・トメアスー編】=《15》=ピメンタ黄金時代へ=故郷に札束で錦飾る
ニッケイ新聞 2009年9月15日付け 「いわゆる黒ダイヤですよ」。第二回移民、トメアスーの沢田哲さんは、ひと言で当時の雰囲気をそう言い表す。イバラの道も、移民自身の血のにじむ努力によって報われる運
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アマゾンを拓く=移住80年今昔=【ベレン・トメアスー編】=《14》=グアマ=改革院が旅券を没収?!=6年で残ったのは4割
ニッケイ新聞 2009年9月12日付け 「とにかく若かった。他県に行くような気持ちだった。失敗しても、やり直せばいいという安易な若さがあった」。大江牧夫さん(76、山形県)は麻布大学獣医学部を卒業し
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日伯論談=第18回=日本発=リリアン・テルミ・ハタノ=子どもたちの可能性のために、多様性の尊重を
2009年9月12日付け 在日ブラジル人の子どもと一口に言っても、その置かれた状況は実に多様である。 たとえば、学齢期の途中で来日した子もいれば、もっと幼い頃に来日した子や日本で生まれ育った子ども
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アマゾンを拓く=移住80年今昔=【ベレン・トメアスー編】=《13》=グアマ=シベリアよりはまし=「移民は日本人でない」
ニッケイ新聞 2009年9月11日付け 「みんなグアマは酷かったとかいうけど、シベリアに比べればたいしたことはない」。呵々と笑い飛ばすのは谷口範之さん(84、広島県出身)=サンパウロ市在住=だ。