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日本移植民の原点探る=レジストロ地方入植百周年

ニッケイ新聞 2013年6月22日付け

105周年を迎えた日本移民史の中で、〃最初〃という枕詞をつけてひたすら繰り返された「笠戸丸」、その船を運行した皇国植民会社の水野龍の存在には突出したものがある。だが同じ時期に「日本人植民地」創設を実現させた青柳郁太郎(1867―1943、千葉県)の存在はあまり目立たない。1913年に創設した桂植民地を皮切りに、第二にレジストロ、第三にセッチ・バーラスと拡張し、「イグアッペ植民地」と総称した。なぜ青柳は移民でなく「植民」にこだわったのか、そしてなぜイグアッペを選んだのか。時まさに日露戦争の前後、明治時代後期は日本近代史の分かれ目だった。青柳を表看板にすえて南米への移住計画を推進したのは誰で、どんな考え方だったのか。レジストロ地方入植百周年を機に、この地方に限らない幅広い歴史的な視点から、今だから見える日本移植民の原点を探った。

日本移植民の原点探る=レジストロ地方入植百周年 ◇戦後編◇ (117)=州公教育に日語授業入れる=核廃絶願って平和灯ろう流し

大鳥居の前を悠々と流れるリベイラ河(右上)に灯ろうが浮かぶという幻想的な光景

ニッケイ新聞 2014年2月4日 公教育の中に日本語を取り入れる動きは現在では一般的だが、最初にそれに取り組んだ地域の一つがレジストロだ。塾的な日本語学校は減る傾向にある中、州教育局の外国語センター(CEL)のような一般教程に組み込んだ形の日語教育はむしろ拡大している。 日本語教師の金子慶子は「今はあちこちのCELに日本語がある ...

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日本移植民の原点探る=レジストロ地方入植百周年 ◇戦後編◇ (116)=日本移民起源で最大の都市=中津川市と姉妹都市提携結ぶ

移民史料館として生まれ変わった海興の旧精米所

ニッケイ新聞 2014年2月1日 終戦後に発足した最初のレジストロ文協は正式登録も会館もない中、自然消滅していった。だが80周年(93年)を機に復活した新文協は早々に団体登録をし、10周年で念願だった和風建築の立派な会館をセントロに建設した。2013年の20周年には別館増築まで果たした。80周年前後を境に次々に再活性化を図ってき ...

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日本移植民の原点探る=レジストロ地方入植百周年 ◇戦後編◇ (115)=逆転する人流と巻き返し=百周年機にリベイラ連合会

鳥居がはめ込まれたセッテ・バーラス文協の新会館の前で遠藤寅重会長と宮下ニウセ市長、福嶌教輝在聖総領事(2012年11月撮影)

ニッケイ新聞 2014年1月31日 セッテ・バーラス日伯文化体育協会は12年11月に同地方入植百周年記念事業として新会館を建設し、富士山を望む茶畑に立体的な鳥居をはめ込んだ美しい壁画を作った。遠藤寅重会長(77、福島)=13年8月18日取材=は「立派な会館を作って活動を盛り上げたいと思った。結婚式、誕生日、集会で使っている。来年 ...

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日本移植民の原点探る=レジストロ地方入植百周年 ◇戦後編◇ (114)=最後の製茶工場を守る天谷=〃復活の日〃信じて耐える

輸出用の紅茶袋(60キロ入り)の前で取材に応じる天谷良吾

ニッケイ新聞 2014年1月30日 大きな池のほとりに立つ洋風豪邸は、まるでインテリオールのファゼンデイロ邸宅そのものだ。グローボTVのノベーラから飛び出してきたようなお屋敷の裏には、かつて住んでいた日本移民独自の建築様式の文化住宅が修復されている。 1923年に建てられ、文化財指定された二階建ての木造家屋だ。日本人大工を中心に ...

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日本移植民の原点探る=レジストロ地方入植百周年 ◇戦後編◇ (113)=紅茶輸出激減した90年代=全伯で唯一残る天谷製茶工場

レジストロ市内に残っているコチア産業組合の製茶工場の跡地。94年に清算するまで操業されていた。現在では屋根は落ち、廃墟と化している

ニッケイ新聞 2014年1月29日 朝6時すぎ、見渡す限りのお茶畑には、朝モヤとも朝霧ともつかないシトシト雨が降り注いでいた。緩やかな丘一面に等高線に沿ってお茶の畝が延々と続く。「昔はこんな光景は当たり前で、あちこちにあったんですよ」と福澤一興は説明する。ブラジル広しといえど、こんな光景はここだけだ。 紅茶工場としてはブラジル唯 ...

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日本移植民の原点探る=レジストロ地方入植百周年 ◇戦後編◇ (112)=挑戦の始まり、ミナスへ転身=盛和塾全国大会で最優秀賞に

妻の由美子、板垣勝秀盛和塾ブラジル代表世話人(当時)、母モモエ(故)、勇次(04年11月にミナスの山田家自宅で撮影)

ニッケイ新聞 2014年1月28日 渡伯2年後に突然、父が病気で亡くなった――。山田勇次は「20歳で独立し、リベイラ河沿いにバナナを栽培した。日本への旅費を作ることだけが目的でバナナ作った。小さい時に別れた兄貴達と話をしたい」という一心だった。兄弟姉妹の上4人は日本に残っていた。 勇次は必死で働き10年ぶりに故郷の土を踏んだ。7 ...

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日本移植民の原点探る=レジストロ地方入植百周年 ◇戦後編◇ (111)=〃バナナ王〃が誕生するまで=元移民老人「戦争ない国」

山田勇次

ニッケイ新聞 2014年1月25日 レジストロなど南聖地方は現在でもサンパウロ州産バナナの50%を叩きだす主要生産地だ。小野一生さん(かずお)は「戦後バナナで有名になった。曲尾良顕●が同地方随一といわれるバナナ栽培をして名を売った。1940、50年代かな。オスカル曲尾ショッピングを作り、地域振興に尽力しとるね。一時は岡本寅蔵のお ...

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日本移植民の原点探る=レジストロ地方入植百周年 ◇戦後編◇ (110)=80周年で復活する文化活動=〃日系魂〃込める大鳥居建設

ザックジャパン(現日本代表)の現アシスタントコーチの和田一郎と屋良(右)。2008年11月のキリンカップでシリア代表が日本代表と試合した時に神戸ホームズスタジアムで(屋良提供)

ニッケイ新聞 2014年1月24日 清丸清が世話したサッカー留学生の一人、屋良充紀(やらみつとし、43、神奈川)=神奈川在住=は、帰国後の1995年に横浜でサッカー学校『エスコリーニャFC』を立ち上げ、「10年後にはJ3を目指す!」と頑張っている。 屋良が滞伯したのは89年から93年で、レジストロには90年から91年に在住し、コ ...

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日本移植民の原点探る=レジストロ地方入植百周年 ◇戦後編◇ (109)=サッカーチーム創立に関わる=留学生世話して日伯交流促進

清丸清さん

ニッケイ新聞 2014年1月23日 野球を青少年育成の柱にしてきた同地だが、プロサッカーチーム創立にも珍しく日系人が関係している。移民史上で最も有名な日系人創立のサッカーチームはパラナ州の「松原サッカークラブ」(Sociedade Esportiva Matsubara)とパラー州都ベレンで山田商会が創立した「山田クラブ」(Ya ...

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日本移植民の原点探る=レジストロ地方入植百周年 ◇戦後編◇ (108)=筆禍事件起こした石川達三=実は『植民』編集部に勤務

石川達三(『最近南米往来記』中公文庫、1981年より)

ニッケイ新聞 2014年1月22日 海興が植民希望者を集めるために戦前に発行していた雑誌『植民』編集部に、片岡松枝は編集主任として勤務していた。松枝は1923年に青山女学院卒業後、東洋大学専門部に入学し、与謝野鉄幹・晶子の「日本古典全集」刊行会に入社し、全集編集に携わった。娘の京田によれば、それが経済的に立ち行かなくなり、アマゾ ...

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