ホーム | デカセギ 関連記事 (ページ 158)

デカセギ 関連記事

コラム 樹海

 今月六日付け静岡新聞には、ブラジル国籍の暴力団組員による覚せい剤密売を摘発との記事が掲載された。「指定暴力団山口組系組員の容疑者(33)」とだけ記されており、名前は書かれていない。「容疑者は県警が把握している県内ただ一人のブラジル国籍の暴力団組員」だという▼一九九一年二月ごろ日本に入国し、二〇〇二年に群馬県から静岡県に移り住ん ...

続きを読む »

刑務官の息子を誤殺=デカセギに行く計画も

2006年7月12日(水)  サンパウロ州で連日、刑務官が殺害される事件が続発する中、十一日早朝、サンパウロ市南部でコニシ・ドウグラスさん(23)がPCC(州都第一コマンド)によって射殺された。これを報じた同日のグローボ・オンラインは「父親が刑務官であるため間違って殺害された」と伝えた。甥も刑務官だった。  午前六時過ぎ、妻と共 ...

続きを読む »

大耳小耳

2006年7月7日(金)  外国人犯罪人引き渡し条約締結や代理処罰制度制定に関する署名活動がブラジルでも進んでいるが、日本の全国知事会から国に要望することが正式決定される見通しになった。静岡新聞によれば、十二に島根県で開催される全国知事会に向けて、五日の同総務常任委員会で内定した。帰伯逃亡デカセギ問題をめぐる運動はこれから、すべ ...

続きを読む »

「デカセギ映画」づくり=米国人アーロンさん意欲的

2006年7月6日(木)  「日系人デカセギ者の映画を製作したい」。昨年アメリカから来伯、さらに今年十月に日本へ留学するというアーロン・リトビンさん(ロシア系アメリカ人、社会学専攻)は、デカセギ者が、いかに異なる文化や日本での生活に適応していくのかを追うドキュメンタリーを制作しようとしている。  「日系デカセギ者たちは世界一特別 ...

続きを読む »

コラム 樹海

 弊紙連載記事をまとめた『海を渡ったサムライたち』(ニッケイ新聞編集局報道部・著=幻冬舎ルネッサンス)が、神田神保町の三省堂の歴史書コーナーに平積みされていると在京の知人に教えてもらい、深い感慨をおぼえた。ある意味、日本移民の歴史が、日本の知識階級に認められたことではないかと思った。三省堂神田本店といえば、日本最大の古本街の真中 ...

続きを読む »

デカセギ向け日本語講座=詳細煮つまる=年内開講か=認定講師を養成=個人塾の形で=谷センター理事長語る「日本で絶対有利」

2006年7月1日(土)  ブラジル日本語センター(谷広海理事長)は、デカセギ向けの短期日本語講座「就労者向け日本語速成塾」の開講に向け、準備を進めている。このほど、同講座のための教員育成が計画され、講座に関しての詳細が決まりつつある。日本から帰伯した谷理事長に話を聞いた。  昨年からセンターは講座のために専用の教科書、副教材の ...

続きを読む »

帰伯逃亡デカセギ問題=静岡県人会が協力要請=県連で署名呼びかけ

2006年7月1日(土)  日伯両国の外相レベルでも話題にのぼり、署名も十万筆を超えた「犯罪人引渡し協定や代理処罰制度確立」を求める運動は、大きな盛り上がりをみせている。その中、また一人、帰伯逃亡ブラジル人がでた(別記事に詳細)。  ブラジルで署名協力を開始した静岡県人会は、六月二十九日午後から行われたブラジル日本都道府県人会連 ...

続きを読む »

ついに伯テレビで報道=大きな波紋を呼ぶか帰伯逃亡デカセギ問題

2006年6月30日(金)  帰伯逃亡デカセギ問題に関して、ついにブラジルの大手放送局レージ・レコール(7ch)が取り上げ、二十九日午前八時五十分ごろ、看板ニュース番組「FALA BRASIL」の中で約一分間にわたって報じた。  「日本で罪を犯して逃げ帰ってくるブラジル人は二十七人から八十六人に急増している」。東京から浜松まで取 ...

続きを読む »

クラスの1/4が日系子弟の学校も=デカセギ子弟教育問題=困惑深める地方自治体=豊橋から教育視察団が来伯=「子供の将来考えて」

2006年6月28日(水)  多いところでは一学級の四分の一がデカセギ子弟の学校もある愛知県豊橋市から、当地の教育事情を調査するためにブラジル都市視察訪問団(加藤正俊団長)の一行七人が十九日に来伯し、約一週間にわたってサンパウロ州やパラナ州で小中学校を見学、デカセギ経験者に教育についての考えを聞いた。その結果、「日本に来る前に、 ...

続きを読む »

サンセバスチョン日本人会50周年=記念式典に市長ら出席=感無量の創立会員=経済の活性化=市は日系に期待

2006年6月27日(火)  【既報関連】サンセバスチョン日本人会(ポ語名=アトランチコ文化スポーツ協会、大沼ニュートン会長)の創立五十周年記念式典が二十五日午前九時すぎから、同会館であった。同市を始め、ウバツーバなどから招待・一般客合わせて、二百人以上が会場に足を運び、節目の年を祝った。地元紙が前日に一ページを割いて、同市の日 ...

続きを読む »