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デカセギ 関連記事

大耳小耳

 パウリスタ新聞、ニッケイ新聞などで紙面製作の仕事を長年してきた三原寿紀さんが18日に、入院先のサンパウロ市ポルトゲーザ病院で亡くなった。享年95。三原さんは1922年7月7日、福岡県津屋崎町生まれ。34年10月にらぷらた丸で渡伯。佐藤念腹氏に師事、俳歴は約60年にもなる。太陽堂勤務などを経て、自ら古本屋も経営した本好きだ。もと ...

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ブラジル三井物産=基金で社会貢献10年目=教育、医療、漁業など多彩=改革で自立自走化支援へ

ABCDの児童にはクリスマスプレゼントを届けた(提供=ブラジル三井物産)

 ブラジル三井物産(土屋信司社長)が運営する「ブラジル三井物産基金」が設立10年目を迎え、『基金改革』を行っている。『支援対象プログラムの自立自走支援』などを社会貢献活動の新たな方針として掲げ、広報も強化していく。日系企業が基金を作って社会貢献をするのは、三菱系企業によるUSP(サンパウロ大学)向け奨学金制度などもあるが、数とし ...

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大耳小耳

 日本で作った「ケイジョ・ミナス」は日本の味か、ブラジルの味か――。海外日系人協会(神奈川県横浜市)が発行する『海外日系人だより』33号に《大泉発! メイド・イン・ジャパンのブラジリアンチーズ》との紹介記事があった。ブラジリアンタウン「大泉」にあるブラジル人経営のチーズ製造・販売会社「ビルミルク」の経営者ファリアス・ビルマルさん ...

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四世ビザは日本語学校に追い風か

 先日、読売新聞が報じた法務省案の四世ビザ在留資格の条件は、まさに「調整中」といった様子で、当人たちの間で混乱が起きている。  「来日時に必要な日語能力はN4程度」とあったが、当地での日語能力検定は一年に一度。12月に実施され、結果が出るのは翌年3月だ。法務省は「11月から制度スタート見込み」としたが、四世の訪日が4カ月遅れてし ...

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日伯関係の大変化を予感させた夜

熱く論じる下地幹郎衆議

 下地幹郎衆議院議員(日本維新の会)による四世ビザ説明会からの帰り道、「日伯関係の大変化を予感させる一晩だった」としみじみ感じた。別室での記者会見で下地衆議に「票にもならない日系人のことを、どうしてそんなに一生懸命やってくれるのか?」と単刀直入に聞いたのに対し、思いもかけない答えが返ってきたからだ▼ブラジル側としては「東京五輪を ...

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エホバの証人がポ語大会=愛知県で千人超が参加

会場の様子

 「エホバの証人」の広報によれば、愛知県豊橋市でポ語大会「あきらめてはいけない!」が14~16日の3日間、開催された。  日本最多のデカセギ集住地にゆえに、多くの在日ブラジル人らポ語話者の若者や年配者が約1200人も集まり、講話を聞くなどした。  講話のほかにもインタビュー、短編ビデオ上映など52部のプログラムが行われた。参加者 ...

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四世ビザに「条件付き賛成」?=本人や関係者に意見聞く=(11)=教育問題に強い懸念が残る

中川さん

 デカセギ子弟への支援活動を行なうNPO法人「カエルプロジェクト」(以下、カエル)のコーディネーター中川郷子さん(東京都、60)は、四世向けビザについて、「日本に生まれ育ち、18歳で一旦帰国して戻れなくなってしまった子がいることはかわいそうだと思う」と一言。「ただし、日本側の受入れ体制ができていないのに四世の人全てにビザを与える ...

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四世ビザに「条件付き賛成」?=本人や関係者に意見聞く=(10)=日本は「夢叶える国」か

高木さん

 パラナ州クリチバ市在住のタマヨセ・ワリッソン・デ・アルメイダさん(27、三世)は2003~09年まで日本に住んでいた。日本の公教育機関には通わず、ブラジル人が自宅で行っていた日語の授業に参加していた。14歳から林業の仕事を始めたそうだ。  19歳で帰伯したが、「ブラジルの文化や生活は肌に合わない。仮にブラジルの経済が良くても、 ...

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四世ビザに「条件付き賛成」?=本人や関係者に意見聞く=(9)=6千人が本格解禁を熱望?

通信アプリWhatsApp(参考写真)

 フェイスブック上で作られたグループ「Visto japones para yonsei, quarta geracao!」では、四世ビザについてのニュースが逐一流され、熱い議論が繰り広げられている。  ページ登録者数は、解禁を待つ四世本人や、その他の日系人など、なんと約6400人を数える大集団だ。同グループは通信アプリWhat ...

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四世ビザに「条件付き賛成」?=本人や関係者に意見聞く=(8)=ビザ解禁待ち望む四世も

 リオ州の日本語学校に勤める高木タチアネさん(三世、30)は4歳で長野県上田市へ行った。公立学校に通い、27歳まで暮らした。「小学校に上がる前に日本語を覚えました」と話す。両親との日語会話やアニメのほか、友人から教えてもらって習得した。  中学校に入ると、同級生の日系子弟らは授業についていけず、次々に学校を辞めていった。もしくは ...

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