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ブラジルの歌詠みへの=あふれる愛情=『椰子樹』300号に寄せて=日本の歌人、小塩さん綴る=「作品に日本人が忘れた本質が滲んでいる」

1月18日(土)

 さきごろ発行された『椰子樹』(〇二年十二月号、三〇三号)に、日本の歌人、小塩卓哉(おしおたくや)さんの文「ブラジルの日系人短歌雑誌『椰子樹』300号に寄せて」が、中日新聞(〇二年十月二十一日付夕刊)から転載されている。ブラジルの歌詠みたちへのあふれるような愛情が滲み出ている文章だ。小塩さんはたぶん、日本の歌人のなかで、もっともブラジル事情にくわしい、理解者の一人である。
 小塩さんは、冒頭で『椰子樹』のおおよそを紹介。一九三八年に創刊され、六十四年の歴史がある。〇二年八月に三百号記念別冊特集号を発刊。作品、座談会、移民短歌の現況、創成期の人々の点描、と内容は盛りだくさん。会員数は二十五年前二百三十一人だったのが、現在百四十五人。「今後これだけ大部の記念号を出すことは困難だろう」と推察している。
 次は、文の一部。「多くの歌集・雑誌が量産される日本の歌壇と比較してあまりに寂しく、特筆すべきことは移住者へのノスタルジーだけだ、と思われるかも知れぬが、地球の反対側から長くこの雑誌を読んできた私には、高齢の移住者たちが日本語を慈しみ、無骨なスタイルで縷々詠み続けた作品に、現代の日本人が忘れた本質が滲んでいるように思われてならない」。
 出稼ぎ現象にも言及。「何ゆえに彼らがやって来るのかは、経済的理由以外には深く考えられて来なかったようだ。短歌は記録性に優れた文学であり、出稼ぎに来た日系人たちの父母や祖父母の世代が、なぜブラジルに渡ったか、そして何を考えたのかが鮮明に記録されている」。
 「遥かブラジルの地へ開拓を志したかつての日本人の精神史は、残された日系人の短歌を振り返ることで辿ることができる」。それは、日本人が歩んできた二十世紀の意味を振り返ることにも繋がっているはずだ、という。
 日本の現在の豊かさと、移民社会の(過去の)貧しさにふれる。
 移民なる貧しさを背水の 陣となし命なりにき夜毎 の眠り   三浦 千里
 「『貧しさ』を我々は過剰なまでに恐れるが、移住者にとってそれは紛れもない現実であった。ブラジルからの出稼ぎ者の心理がどうしようもなく日本人に理解出来なかったのは『背水の陣』としての決意や、生活者として免れ得ない『重み』というものが、われわれと無縁になっているからではないだろうか」。
 洪水のような出版物に流されがちな日本人は(出版物の)滅亡というものにどこかで高をくくっている。だから「『椰子樹』に張りつめる滅亡への危機感こそが、貴重な経験に基づく重宝だと思われるのである」と小塩さんは書く。
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 小塩卓哉さん 歌人、一九六〇年、岐阜県生まれ、早稲田大学卒、中部日本歌人会副委員長。著書に『海越えてなお 移住者たちが短歌に綴った二十世紀』(本阿弥書店)、『新定型論』(短歌研究社)、『風カノン』(砂子屋書房)など。

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