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「移民の父」に変わらぬ敬意=上塚周平像を整備=ステンレス製の碑文を設置=熊本県人会中心に実現

1月23日(木)

 サンパウロ市リベルダーデ区ラルゴ・ダ・ポルヴォラ広場にある上塚周平の銅像台座に、碑文を刻んだステンレス板が取り付けられている。熊本県人会(嶋田秀生会長)が中心になり、各都道府県人会が経費を出し合って設置した。以前、取り付けられていた銅の板は換金性が高く盗まれた。碑文にはポルトガル語で「移民の父」上塚周平の功績が書かれ、敬意が表されている。

 碑文には、「移民の父、上塚周平が新しい祖国ブラジルに示した祖国愛と献身は、陸続と続く日本移民を鼓舞し、この大陸に根を張る移民を激励した」旨、刻まれている。その後に「日本移民のパイオニア、上塚周平」と書かれ、「ブラジル日系コロニア」と署名されてある。すべて、ポルトガル語。碑文が彫刻されたステンレスは上塚周平の立像の台座に取り付けられた。
 熊本県人会の事務局によれば、このステンレス板が取り付けられたのは、二〇〇二年八月二十五日のこと。銅板が盗まれ「みっともない」という理由で、ステンレスで作ったものを取り付けることが企画された。同日、サンパウロ市リベルダーデ区内にあった会館から、同ヴィラ・マリアーナ区ギマラエス・パッソス街一四二番に移り、日本から出納長、県議会議長をはじめとする慶祝使節団約五十人を迎え、新館落成式を開いた。その後、上塚周平像のステンレス板の除幕式も行った。ステンレス板の製作には、上塚周平が熊本県出身であることから、熊本県人会が中心になって各都道府県人会に呼びかけ、募金した。熊本県人会が千五百レアル出し、「移民の父は、日系コロニアすべてに関係あり」と、各団体に十レアルの協力を求めた。総額二千レアルで、取り付けた。銅でできた眼鏡も盗まれ、安っぽいプラスチックのフレームが仮にかけられていた。今は立派なものがついている。
[上塚周平]
 一八七六年七月から一九三五年七月。熊本県下益城郡出身。東京大学法科卒業。皇国植民会社の現地代理人になる。一九〇八年六月十八日、笠戸丸で第一回ブラジル日本移民七百九十一人とともに着伯、移民とともに苦汁をなめる。一九一八年、プロミッソン植民地を創設する。生涯、質素な生活をし、移住者たちを見守った。瓢骨と号し、俳句に親しんだ。プロミッソンには上塚公園がある。サンパウロ市内にはラルゴ・ダ・ポルヴォラの銅像のほか、コンセリェイロ・フルタード街に『上塚橋』が架けられている。

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