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コラム 樹海


 さきに本紙は「越境する日本文化」を連載した。越境しながら変わる日本文化は確かに多い。茶道や古武道のように「精神」や「形式美」を継承させる文化は変わりにくいと思われるが、食べものなどは、変質を否応無しに迫られる最たるものだろう。これでいいのか、しようがないな、と思いながら、もどかしさを覚える。やはり、日本人だからだ▼最近の読売新聞の日曜版に「サンパウロの東洋市」がとりあげられていた。取材記者は、テンプラをほおばりながら声をかけてきたブラジル人にすすめられ、さっそく屋台で求め食べてみた▼かき揚げを紙ではさんで食べなければならなかった。スナック菓子に似た味がしたという。今川焼きは皮がケーキみたいに甘く、中の餡(あん)はシチュー状、たこ焼きのソースは魚醤油のよう――こんな具合に感想を書いている▼別に蔑視や悪口をいっているわけではない。焼きそばを売っていた日系三世は「最初は、日本の味だった。でも、ブラジル人の口に合うよう変えてきた」。そうしないと売れなかったから、必要に迫られてと言っている。ブラジル人の口に合うように、の言い方は、ほかの例えば寿司もそうだ▼それでもまだ、こだわりたい。日本の味を出す力量、腕がないのではないか、逃げているのではないか、本当に美味いものは、だれの舌にでも美味いのではないか。文化が越境しながら、あるいは越境すれば、変わるというのは、全面的には納得がいかないのだ。(神)

03/04/11

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