ホーム | コラム | 樹海 | コラム 樹海

コラム 樹海

ニッケイ新聞 2007年9月6日付け

 一九四一年、日本人移民四〇〇人のサンパウロ州入植を禁止するかどうか討論したとき、時の法務大臣フランシスコ・カンポスは次のようにいった。「その卑しい生活のあり方は、国内の労働者との野蛮な競争の様子を表現している。そのエゴイズム、悪意、強情な性格をして巨大かつ、民族・文化的なキスト(異分子)をブラジルの最も豊かな地域に作っている」。これはブラジル地理統計院(IBGE)の移民史料にある▼ほんの六十六年前の話だ。読者の大半は生まれていたし、戦前移住者であればすでに渡伯していた。同大臣はゼッツーリオ・バルガス独裁政権のエスタード・ノーボ(新国家体制)の法律的支柱をなした法曹界の重鎮であり、当時のエリート層によるナショナリズム論調を象徴するようなコメントだ▼そのわずか五年後、勝ち負け騒動の最中、一九四六年八月の連邦議会では、反日本移民機運は最高に高まり、新憲法の一条に「年齢及び出身地の如何を問わず、日本移民の入国を一切禁止する」との条項を盛り込む議案まで提出された。長時間にわたって本会議で激しく議論された結果、最終的に賛成九九票、反対九九票となり、議長が反対に一票を入れたことで危うく否決されたのは有名な話だ▼来年に百周年を控え、連邦政府や州政府レベルを問わず各方面から「日本人移住は成功だった」との声が今でこそ聞かれる。しかし歴史をひもとけば、綱渡りのような場面は何度も、何度も訪れた。七日の独立記念日を前に、この国の誇るべき〃資源〃はエタノールや農産物ではなく、国民性だと改めて思った。(深)

image_print