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由緒ある建物2館=県連、日帰りで訪問(上)=予想外の収穫 州立博物館=多い日系人関連の展示

6月13日(金)

 ボ――ッ、ボ――ッ。曇り空を突くような警笛が鳴り響く――。蒸気機関車は徐々にスピードを落とした。
 「次の停車駅はサンパウロ、サンパウロ――。移民収容所です。日本移民のみなさん、よくブラジルへいらっしゃいました。ポルトガル語は難しいですが、すぐに覚えられますから、がんばってください」
 愛嬌のある車掌のアナウンスに、一堂は爆笑。県連の日帰りモジ旅行で立ち寄ったサンパウロ州立移民博物館でのひとコマだ。
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 八日午前九時、曇り空なのかサンパウロ市ガルボン・ブエノ街に集合した一行は、まず同博物館に立ち寄った。一八八八年に建設されたこの立派な建物は、もともと移民収容所(Hospedaria de Imigrantes)として約三百万人、六十数カ国の移民をもてなした後、一九七八年に最後の移民グループを収容して役目を終えた。
 第二次大戦中などは政治経済警察の留置場として使われ、枢軸国側移民が収容された歴史も持つ。一九九三年に博物館構想が打ち出され、九八年から正式にオープンし、第二の人生を始めた由緒ある建物だ。
 最初に入った航海展示スペースでは、いきなり男性ブラジル人職員が日本語で「オハヨウ」と声をかけてきて、一堂喜ぶ。三重県員弁郡十社村から大正七年四月に渡伯してきた佐藤常市さんの旅券などもパネル展示してあり、日系人関連の展示物が実に多い。
 「私は少し遅く入ったから、一番上の四階に泊まった」。展示されている神戸収容所の写真を見て、懐かしそうに語るおばあさんがいた。
 展示の豊富さもさることながら、同博物館の目玉はやはり機関車だ。一九二二年に米国Baldwin社が製作したものが、通常は観光走行してくれる(一等車で四レアル、二等で三レアル)。現役時代はリオのセントラル・ステーションで活躍していたものを、修理・改修した木造の客車が奥ゆかしい。
 この十五日(日)午前十時から同博物館で行われる「第八回移民祭り」では特別に、〃Velha Snhora〃(おばあちゃん)と愛称される約七十歳のPacific353が走る。現役時代はリオ―サンパウロ間を「クルゼイロ・ド・スル」と呼ばれて疾駆していた名車両だ。参加者の中には「あれに乗るために、もう一回くる」と豪語する鉄道マニアも。
 同祭りには日系コロニアをはじめ、ドイツ系、イタリア系、ポルトガル系など各国移民が民族舞踊を披露する予定。入場料は四レアルだが、六十五歳以上は無料。
 「どこやらの移民史料館より、よっぼど楽しいわね」と、ある妙齢の女性はボソリつぶやいた。(続く)

■由緒ある建物2館=県連、日帰りで訪問(上)=予想外の収穫 州立博物館=多い日系人関連の展示

■由緒ある建物2館=県連、日帰りで訪問(下)=モジ箱根から富士山?=どこか神秘的なカザロン

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