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植樹現状は計画の半分=戦後移住50周年=管理費に毎年2万R$=記念誌編纂はこれから=続く地道な委員会活動

9月10日(水)

 日本からも多くの来賓を招いて、七月に記念式典を挙行した戦後移住五十周年委員会(中沢宏一委員長)。現在残されている事業は、記念誌の編纂と、当初から目玉に掲げていた桜とイペーの植樹だ。同植樹委員会(管理も担当)の石川準二委員長に、これまでの植樹の経過とこれからの活動、菊地義治財務委員長に財政面での問題について聞いた。

 植樹委員会は、現在までにサンパウロ市ピエリーニョ・ダ・アグア公園(計画では一千本)に桜を四百本とイペーを五百本、サンパウロ大学構内(計画では一千本)には六百本の植樹を終えている。
 十九日にはオザスコ市のシッコ・メンデス公園で植樹祭を執り行う。予定では千本を植樹するはずだったが、石川委員長は「植樹予定地が造成中のうえ、桜を植える時期を失してしまい、当日植えるのは五十本ほどになるだろう」と話すが、一方、菊地財務委員長は「根が出ていれば、植樹には時期を選ばない」とも語った。
 なお、十一日には百五十本をUSP構内に植樹、その後、毎週百本の植樹を予定している。
 植樹事業は当初の予定で十一万レアルと見積もられていたが、現在までの支出は約二万レアル。「苗木などは、委員からの寄付によるもの。植樹記念碑の大理石も、スザノのある企業からの寄付」と石川委員長は費用の削減を強調する。
 同五十周年委員会の今までの収益はブラジル側からの約二十二万レアル(個人、企業含む)、まだ募金活動が続いている日本の事務局側からの報告(八月末)によると日本側からは、約四十七万円となっている。
 これに加え、日系企業からの寄付金三百五十万円と個人の寄付一万レアルほどがまだ未回収だ。
 菊地財務委員長によれば、現在の残金は約六万レアルほど。記念誌編纂事業には、九万レアルの予算が計上されており、植樹や管理にかかる年間二万レアルの支出を考えれば、「五万レアルほどの赤字を覚悟しなければ」と話している。特に管理費二万レアルは継続して発生するので、来年以降の頭痛のタネだ。
 後の管理については、シッコ・メンデス公園の場合、オザスコ市環境局が管理するという了承を得ており、十九日の植樹祭でその承認も行われる予定。ピエリーニョでは植樹(管理)委員会が現地管理人を一人、雇用している状態だ。
 三千五百本を植樹する当初の計画の半分以下という現況だが、同事業は五カ年計画で行われており、二十人近い植樹委員たちのこれからの地道な活動が期待される。

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