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ホームレス運動=MSTにも日系人=デカセギ帰りハヤシさん=日本のアパートの方がひどかった?!

10月17日(金)

 サンパウロ市中心部ではここ数カ月間で、ホームレスによって占拠された建物に出くわすことが容易になった。ホームレス運動関係者の正確な人数は判明していないが、サンパウロ市の主要六組織には合わせて約十九万五千家族・七十八万人が住む場所を得ようと運動を繰り広げており、なかには日系人の姿も見受けられる。八日付、ニッポ・ブラジル紙が報じている。

 中央部ホームレス運動(MSTC)は一九九七年に設立され、サンパウロでは十八カ所の占有を行なった。日系のエリーザ・キヨコ・ハヤシ・シウヴァさん(三四)は二ヵ月前、友人からMSTCの活動を聞いた。偏見を抱きながら集会に参加したが、それ以来、毎週金曜日、リモン区のホームレス運動集会に参加するようになった。
 エリーザさんは高校を卒業後、親戚が経営する化粧品工場で働いていたが倒産。一九九〇年、両親と当時四歳の娘をブラジルに残し、日本へデカセギに行った。八年間、トラック部品などの製造工場で働いたが、ブラジル在住の家族への仕送りと日々の生活費で収入は何も残らなかった。
 九八年、帰国したところ、母親は心臓病に悩まされ、父親は高齢のため妻の世話をすることができない状態だった。「母親を病院に連れて行き、薬を買わなければならない上、家の面倒もみなければならない」。ビンゴ店で働きながら、エリーザさんは家計を遣り繰りした。しかし、一年五ヵ月後、孫が誕生。「娘は孫の世話をしない。いま、母親のほかに、孫の面倒もみなければならない」。エリーザさんは、週末に従姉妹が営むパステル屋でアルバイトをするだけとなった。
 エリーザさんは、運動と連邦貯金局の新組合員になることで、自分の住居を獲得することを切望している。たとえ窮屈な建物に住むことになっても驚きはしない。「日本では二十人以上がトイレ一つ、コンロ二つしかない建物に住んでいた。どんなに小さなアパートでも、私にとっては最高」という。
 エリーザさんは、ホームレス運動に対する偏見をなくすための一例といえる。運動と無関係の人たちは、ホームレスは犯罪者で残酷に違いないと考えがち。しかし、「多くの人が未登録で働いているが、それでも家賃を払うことができない。みんな働き者です。ホームレスたちは街頭でお金を乞うことはしない」と、運動関係者は語っている。

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