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往年を懐かしむ=ヴィアジャンテ倶楽部親睦会=活動最盛期ほ50年代=奥地では貴重な情報源

1月14日(水)

 メディアがまだ発達していなかった五十年ほど前。地方を行商して歩いたヴィアジャンテは情報伝達の担い手として活躍、地方在住者はもちろん、政治家や企業家に重宝された。現在そのほとんどが一線を退き、年金生活者となっている。相互の親睦を目的に組織されたヴィアジャンテ倶楽部(橋浦行雄代表世話人)は今なお、健在だ。十日、サンパウロ市内のレストランで開かれた親睦会には二十数人が出席、旧交を温めた。
 会が産声を上げたのは戦後、間もなくのこと。当時、勝ち負け抗争で日系コロニアは混乱していた。会員の九割は日本の敗戦を認識していたが、顧客の多くが戦勝派に属していたため、仕事上、表面的には勝ち組を装ったという。
 日系ヴィアジャンテは主に旧長谷商会や旧遠藤商会など輸入卸商と契約。ノロエステ、パウリスタ、ソロカバナ線などを回った。交通手段が発達してなくアラサツーバ(サンパウロから六百キロ)に出掛けるのに、「ルース駅を発ち、翌日の夕方に着いた」
 最盛期は五〇年代。約百人の入会者がいた。奥地では情報を得る媒体が乏しく都会のニュースは貴重なもので、ヴィアジャンテが到着すると在住者が集まってきたそう。
 地方票獲得に腐心する政治家や地方進出を狙う企業家も現地の情報を手に入れるため、ヴィアジャンテを利用。「親睦会を開けば、ウイスキーがずらりと並んだ」。出席者の一人は「コロニアではエリート階級に属していた」と胸を張る。
 昨年は寺田賢水さん(前代表世話人)ら三人が亡くなった。会員の平均年齢は現在、およそ七十五歳。八十歳を超えても現役を続けている人も数人いる。
 あいさつに立った橋浦代表世話人は、「あの頃は私たちにとって、最高の時代だった」と往年の勢いを懐かしんでいた。この日、野村丈吾元連邦下院議員が来賓として出席。ブラジル政治の現状などについて説明した。

 

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