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日本の子供達に愛読される=山脇あさ子さんの本=『アマゾンからの手紙』=〝原作〟は老移民・小野正さんが書いた=『アマゾン移民少年の追憶』

3月23日(火)

  一九九八年にパラナ州で自家製本された『アマゾン移民 少年の追憶』(小野正著)は、もともと五十部ほどしか印刷されなかった。しかし、評判が評判を呼び、次々にコピーされて人手に渡り、ついに日本の作家によって小学生向きの本に書き直され、昨年末、出版された。それが日本の新聞社の目にとまり、「読書感想画コンクール」の指定図書になり、日本の子どもたちに愛読されるまでになった。次々に縁が縁を呼び、不思議な輪を広げている。北パラナのコルネ―リオ・プロコピオ市在住の著者、小野さん(八四)は「光栄この上なしです」と喜んでいる。

 九七年二月にアチバイア市で、久々に一族が集まる機会があった。その折、たまたま小野さんがアマゾン入植当時の話をしたら、三女から突然、「なんだか感動しちゃった。お父さん。今の話を本に書いて、親戚や友人のみなさんに差し上げたら、きっと喜ばれるわ」と勧められた。
 再三「書き始めたか?」と催促する娘に押され、重い腰をあげて半年がかりで書き上げ、自家製本したのが九八年三月だった。その本には、移住前後の四年間ほどの物語が、抑えられた文体で雄弁に綴られている。
 一九三〇年当時、十歳だった小野さんは、ふるさとの宮城県岩沼町を家族九人とおじさん二人と共に出発し、神戸から出港。二カ月かかって、ようやくパラー州のトメアス近くのアカラ植民地へたどり着いた。そこに待っていたのは、電気さえない生活で、マラリアどころか、発病から数時間で内臓を破壊されて死に至る原始林大熱病…。三三年、最初に弟の哲夫、兄の利雄、姉の幸、次々に病魔が家族を襲った。
 健康地のサンパウロへ出たいが、その資金もない。家族みんなで悪戦苦闘する姿を、あくまでも淡々とした筆致で綴った。
 「本当のことを描写したら、単に植民会社の落ち度をあげつらうだけの話になってしまうから」と、助け合う家族の絆を行間に定着させようと、小野さんは心血を注ぎ、何度も何度も書き直した。
 この本は、人手から人手にコピーされ、徐々に反響を広げた。「もう百通ぐらい、読んだ方から感想を書いた葉書や手紙をもらいました」。日本とブラジル国内と半々だという。
 日本でそれを手にした作家の山脇あさ子さんは、小野さんに連絡をとり、『アマゾンからの手紙―十歳のブラジル移民―』(新日本出版社)が昨年十二月に上梓された。小野さんの物語がベースになっており、小学校高学年向きに書き直されている。
 そして、本紙が問い合わせたところ、出版されたばかりの『アマゾンからの手紙』が、九州地方のブロック紙である西日本新聞の「読書感想画コンクール」の小学校高学年の部の指定図書になっていることが分った。
 「光栄この上なしですね」と電話口で小野さんは喜びの声を挙げる。小野さんは昨年暮れに胆嚢の手術をし、一時は危篤状態になって、家族を枕もとに呼び寄せるような事態にもなっていた。救急治療室に一週間入り、ようやく個室に戻った。
 「ちょうどクリスマスの日でした。息子から本を受取ったのが。『パパイ、立派な本が届いたよ』と聞いたとき、手が震えましたよ。死ななくてよかったと心底思いました」と回想する。
 息子から「パパイが命拾いしたのが、このクリスマス最大のプレゼントだったよ」と言われた時、小野さんは涙が止まらなかった。
 大晦日から自宅療養に切り替わったが、寝たきりの状態が続き、三月半ばから快方に向かいつつある。「一刻も早く、手紙をくれたみなさんに返事を書きたいです」。
 読者の手紙の多くには「続きを読みたい」との注文が書かれている。小野さんは「前が子ども時代の話でしたから、次は青春時代の話ですかね」と密かに構想を温めている。
 一老移民が何気なく書いた家族の物語が、日伯を越えて読み継がれている。

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