ホーム | コラム | 樹海 | コラム 樹海

コラム 樹海


コラム 樹海

 戦前最後の移民船『ぶえのすあいれす丸』は、日本軍による真珠湾攻撃の三カ月前、一九四一年九月、サントス港に着いた。移民船の航路としては異例のマゼラン海峡を通っている。いうまでもなく、軍事的な配慮だ。航海は予定より二カ月ほど長引いた▼この船の一つ前が四一年五月着港の『あらびや丸』。辛うじてパナマ運河を通過できた。この船の同航者会が今週末行われる。いつも「当時(日本の)親類たちが心配してねぇ」と話題になるそうだ▼太平洋でこそ戦端が開かれていなかったが、なぜ、あの時期に移民船が出たのだろう。移民や船の予定がしっかり組まれていたのは理解できるが…▼最後の移民船が入る前、同年七月『サンパウロ州新報』が「アジア人はアジアへ帰ろう」と告別の辞を書いて廃刊、同八月「伯刺西爾時報」が停刊、同十二月ポ語だけになっていた『ブラジル朝日』(旧日伯新聞)が停刊。日本語活字による情報は途絶えた▼さらに、翌年一月サンパウロ州保安局が敵性国民に対する取締まり令を交付告示、同月日ブラジル交断絶、在外公館閉鎖、と日本移民の肩身どんどん狭くなっていった▼戦前の移民船の同航者会開催話をきいて久々に『ぶえのすあいれす丸』『あらびや丸』の移民たちを思い出した。渡航して来た一世たちはすでに高齢。歩んだ道は風化してきた。まさに往事茫々である。戦雲が覆いかぶさってきたころ〃丸腰〃で来た移民船。無事でよかった。それにしても、ブラジルの現在の平和、ありがたい。(神) 

 04/05/12

image_print