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ボリヴィア=沖縄植民地50年の節目=8月 ブラジルから300人慶祝へ=転住者「ご苦労さん言いたい」

5月14日(金)

 八月に予定されているボリヴィアのコロニア・オキナワ入植五十周年に、ブラジルから約三百人の大型慶祝使節団が計画されている。使節団を主催するのは在伯ボリヴィア親睦会(平良吉章会長)。同地からブラジルへは一千人以上ともいわれる転住者がおり、彼らにとって親族が多く住む「第二のふるさと」だ。
 一九五九年に家族と共に沖縄を出て、五年間をコロニア・オキナワで過ごした平良会長(五五)は、「現在まで頑張っている人に『ご苦労さん』と言いたい。あっちに何か良いことがあれば、こっちも本当に嬉しい。思い出深い場所です」と振り返る。入植当初は電気も水もなく、両手を広げても届かない大樹が茂る原始林を開拓した。
 十六歳で沖縄を離れ、六年間を同コロニアで過ごした後、家族と共に渡伯した知花良治さんは、「私の青春時代はボリヴィアです。今回はみんなを誘ってお祝いに行こうと話しています」と懐かしむ。母県や日本各地、ハワイ、ペルー、アルゼンチンなどからも慶祝団が駆けつけるそう。
 今回の入植五十周年は、記念式典実行委員会(幸地広祭典委員長、中村侑史実行委員長)=事業主体・オキナワ日本ボリヴィア協会=が主催するもので、多彩な行事や事業が予定されている。
 七月四日の駅伝大会に始まり、同十八日の運動会、八月初旬の野球大会、中旬のゴルフ大会、十四日の前夜祭(豊年祭)、十五日の記念式典、十六日のゲートボール大会、その他、沖縄角力大会もある。
 主な記念事業は次の通り。▼オキナワ・ボリヴィア歴史資料館の開館式(八月十五日)▼「コロニア・オキナワの父」ビクトル・パス・エステンソーロ氏銅像除幕式(同十四日)▼「コロニア・オキナワ発祥の塔」除幕式(同十五日)▼公共施設付帯設備設置(第一~三地域の公民館など)落成(同十五日)▼日ボ会館敷設設備の落成(同十五日)▼第一~三~サンタクルス市縦貫アスファルト道路の推進(同十五日着工目標)▼記念誌発行(十二月予定)
 ボリヴィア出身者が創立した三旅行社が参加受付け中。ブラジル沖縄旅行社(11・6941・3145)、知花旅行社(11・6197・5922)、大城旅行社(11・6941・9025)。
  《コロニア略史》
 同移住地の当初は多難を極めた。第二次世界大戦で廃墟と化した、アメリカ軍統治下の沖縄から、一九五四年八月十五日に琉球政府第一次計画移民二百七十五人が入植。一ヵ月後に第二次移民百二十五人が「うるま移住地」へ。まもなく原因不明の熱病が発生して十五人の尊い犠牲をだしたため、翌年八月にパロエティア移住地へ移転したが、土地問題が起き、五六年七月から現在のコロニア・オキナワ第一移住地建設が始まった。五七年九月に同第二移住地、五九年十一月に同第三移住地となった。
 琉球政府計画移民は六四年の第十九次まで続き、合計五百八十四家族、三千三百八十五人が移住した。度重なる天災もあって、ブラジルなどへ転住するもの、八〇年代からはデカセギ・ブームで人口が減少した。しかし、九〇年代からは大規模農業が定着して経済的に発展し、同国の模範的農村として称えられるようになった。九八年にボリヴィア政府は同コロニアを行政区として制定し、村役場を設置した。

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