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「コチア青年の森」造成へ=50周年記念祭に向け始動=コロニアの共有財産=国士舘センターに=「孫たちにも植えてほしい」

10月2日(土)

 コチア青年は来年(二〇〇五年)移民五十周年を迎える。コチア青年連絡協議会(高橋一水会長・高知県)が、福井県出身の山下治さんを委員長とする五十周年記念準備委員会を発足させて行動を始めている。記念事業は(1)式典、(2)コチア青年の森造成、(3)記念誌出版――の三本柱だ。 四十周年記念誌の巻頭言の中で、当時連絡協議会の会長だった黒木政助さん(宮崎県)は「一九五五年九月十五日、希望と不安とが交錯する複雑な心境で、第一回生がサントス港に上陸、その後、十二年間で二千五百八名の『青年』がトランク一つで海を渡った。当時、母国日本は、失業者六百万人と言われた時代で、今日の経済大国は想像できたかった」と仲間たちの心境と日本の現実を描写している。
 そして、四十五周年当時の連絡協議会会長の永山八郎さん(福島県)が記念写真集『挑戦』の中で「月日の流れは早いもので、すでにコチア青年の仲間の多くはおじいちゃん、おばあちゃん、と可愛い孫たちに寄りすがられる善良な祖父母となりました。私どもはいつまでも『コチア青年』と呼ばれる〃若者〃ですが、平均年齢六十五歳で、仲間のうち十人程は今年古希を迎えます」と述べている。
 五十周年目の来年には、コチア青年の多くが古希を迎えていることであろう。
    
 コチア青年の誇りは多くの篤農家を輩出したことだ。努力の証しではあるが、その過程で、たくさんの木を伐り倒し、森を焼いてきた。元来、日本人は森を大事にし、森と共に生活し、森を作る伝統を持っている。
 二〇〇五年に迎える五十周年の記念事業の柱に、植林「コチア青年の森」を据えたのは、森を通して自分たちの生活を育んでくれたブラジルという国と国民に報恩の意思を示し、その一方で、可愛い孫たちに日本人の生活の原点を継承していきたい、という思いがあるようだ。
 篤農家の次には森を作ることのできる〃篤林家〃を育てたい希望もある。植林には専門家の視点が必要であり、植物学で高名な橋本悟郎氏(サンパウロ博研顧問)と、サンパウロ州森林院の山添源二氏を顧問に迎えている。
 場所は国士舘スポーツセンターを選んだ。サンロッケ市にあるが、サンパウロ市から約五十キロと近く、将来は森の名所として多くの市民に気軽に訪ねて欲しい、という思いがある。
 去る九月二十九日、黒木慧・美佐子夫妻(宮崎県)、山田充伸(岐阜県)、白旗信(長野県)、木村磨澄(島根県)、坂東博之(徳島県)、高橋凡児(岩手県)、安武加寿之(熊本県)、伊下碩哉(福島県)、杓田正・美代子夫妻(三重県)、山本隆幸(熊本県)、山下哲男(鹿児島県)が、国士舘の植林予定地で穴掘り作業を行った。
 古希に近い青年たちが、五メートル間隔で深さ四十センチの植え穴を次々と掘り進む姿は圧巻だ。「コチア青年の森」造成委員長は黒木慧さんで、副委員長が山田充伸さんと白旗信さん。三年かけて五ヘクタールにブラジルに移住してきたコチア青年の数・二千五百八本を植える計画だ。
 まず、雨期が始まるのを待って、二百本を植える予定。「孫たちにも植えてもらいたい」と黒木委員長は期待している。
 植え穴掘り作業に立ち会ったブラジル日本文化協会の小川彰夫理事は「国士舘センターは文協が管理していますが、施設も土地も日系コロニアの共有財産です。みんなで作る森、みんなが学ぶ森、となることを期待しながらコチア青年の構想に賛同して一緒に行動しています」とその意義を述べている。

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