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移民100年に向け=杉村公使の墓再整備=リオ=曾孫、岩手県人会など墓参=遺族、関係者の案まとまる

5月25日(水)

 【既報関連】ブラジルを積極的に視察し、移民の導入を計った杉村濬(すぎむらふかし)駐伯三代目日本公使(一八四八―一九〇六)。没後百周年に先立って、ブラジル岩手県人会(千田曠暁会長)は二十一日、盛岡市出身である同氏の墓地(リオデジャネイロのサンジョアン・バティスタ)改修視察を行い、墓地再整備案をまとめた。今後は、孫の杉村新氏(神戸大学元教授)の意見を聞き、現地日系団体、総領事館などと協力して案を具体化していく。また、サンタカタリーナ州フロリアノポリスでの学会に参加のため訪伯していた曾孫に当たる杉村延広氏(大阪府立大学教授)は、今回が初めての墓参となった。
 同県人会関係者十名は、二十日深夜十二時半にサンパウロ市の同会館前を出発。翌朝、市内のホテルで延広氏、新氏の教え子であるリオ在住二十年の元木昭寿氏(リオ州立大学教師)、伊藤春野監査の孫夫婦と合流し、墓地へ向かった。
 この日のために、十字架にかたどられた木の墓標と公使の遺影を用意。一行はそれと一緒に菊、すみれ、ひまわりの花を供えた。
 伊藤監査が導師役を務める中、「移民船・笠戸丸を見ることなく亡くなったけど、これだけの人が集まってきっと喜んでいらっしゃるだろうね」と、墓参者はそれぞれ冥福を祈った。延広氏は「三十年前から一度、墓参したいと思っていた。このような機会を与えてくださってありがとうございます」と謝辞を述べた。  
 岩手県人会は一九九二年五月にも墓地を訪れている。その当時、墓石は大きくひび割れていた。
 しかし、移民九十周年の年に当たる一九九八年に、鹿田明義さん(リオ州日伯文化体育連盟理事長、リオ日系協会元会長)が個人で改修費を奉仕し、改築した。以来、命日である五月十九日に毎年墓参して、掃除している。そのため、「感激した。思ったよりきれいなままだ。鹿田さんらのおかげ」と藤村秋夫副会長が言うように、墓蓋のひび割れも少なく、墓碑文字も読み取れた。
 千田会長も「せっかく手入れしてくれていたお墓をまた壊して改修するのも気が引ける」と話し、当初予想していた改修案とは違い、移民百周年に向けての再整備という方針となった。
 午後からの意見交換会には、その日の朝、リオ日系協会会長に就任したばかりの淀川三男氏、鹿田理事長をはじめとする関係者が集まり、案を出し合った。結果、(1)墓石に遺影を組み込む(2)似顔絵を墓石に刻む(3)名前を彫る、の三案を検討していくことに決定。延広氏が帰国後、三案を新氏と相談し、意見を聞いて県人会に連絡をすることになった。
 午後八時からは、リオ日系協会と同県人会の交流会が開かれた。千田会長は「杉村公使の導きがあったからこそ私たち移民があり、日伯交流が発展した。この歴史を大切にしなければならない」と杉村公使を称え、「これからも、協力しあってコロニア社会を盛り上げていきたい」と意気込みを述べた。延広氏は「杉村公使が今でも移民の方にとって非常に大事な人であることがわかった」と改めて語った。
 移民百周年に当たる二〇〇八年は、同県人会五十周年の年でもある。千田会長をはじめとする県人会員ら、現地の日系団体、総領事館はそれに向けて、墓地再整備案をさらに具体的に進めていく考えを示した。

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