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コラム 樹海

 一獲千金の夢を抱いた笠戸丸移民がサントス港に着いてから97年。165家族733名、単身者48名を乗せた笠戸丸がブラジルに着いたときの反応はさまざまであった。サントス市の地元新聞は「黄禍」を導入するとの不安を記し、サンパウロの某紙は「船中で殺人事件が発生」と報じている。こうした中でコ・パウリスタ―ノ紙は、日本移民の礼儀正しさを称賛する記事を掲げ評判になる▼移民らはグアタパラなどモジアナ線の農場に送られたが、不満が募り脱耕者が多く、問題になったりもする。言葉や文化、生活習慣の違い。働いても経済的な豊かさには遠く、挫折する人もいる。そんな苦難を乗り越えて旅順丸や後続の移民たちを迎え「農業の神様」の声がブラジスに広がり、この大地に移民らが定着するまでには30年も40年も掛かる▼古い移民らが暮らした小屋にはトイレがない。男も若い女性も皆がエンシャーダを持っての苦労である。墓も無い。マラリアなどで倒れた移民らは時と共に無縁仏となって野に晒される。こうした哀しみの日本人移民らを慰めようとして建立されたのが、イビラプエラ公園の「開拓先没者慰霊碑」なのだ▼「海外移住家族会」の事務局長だった故藤川辰雄氏らが音頭を取り県連が呼応したものであの碑の文字は田中角栄総理大臣の揮毫による。県連の故和田周一郎会長は「墓守り」を以て任じたのだが、今や移民の子孫たちもあの碑を忘れ去ろうとしている。だが―今年は県連がオニブスを提供して参拝を呼びかけいい「移民祭」になりそうだし、あの慰霊碑から日本移民の歴史を学んで欲しい。    (遯)

05/6/18

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