ホーム | 連載 | 2005年 | 半世紀のコチア青年=リオ、ミナス州に親善交流の旅 | 半世紀のコチア青年=リオ、ミナス州に親善交流の旅=連載(3)=〃リオ州の信州〃に土地を得て  松岡農場 効率いい水耕栽培

半世紀のコチア青年=リオ、ミナス州に親善交流の旅=連載(3)=〃リオ州の信州〃に土地を得て  松岡農場 効率いい水耕栽培

7月12日(火)

 海岸に面しているリオ・デ・ジャネイロ市内から州道RJ135号を北々東に進むと、起伏に富んだ地形となり、カーブが多くなる。海抜も徐々に高くなるため、コチア青年連絡協議会の親善交流団二十八名を乗せた大型バスは早く走れない。予定時間がどんどん過ぎていく。これも旅行業者の手配でなく、手づくり旅行の特徴だ。
 リオ市の北、九十六キロにあるテレゾポリス(Teresopolis)を過ぎる頃から野菜畑が広がった。小高い山々に囲まれた地形のため、道路の両側に広がる畑の面積は狭いが、いろいろな野菜が栽培されている。すべて露地栽培だ。
 山々には樹木が繁っているので、地下水も豊富なようだ。水と共に養分も畑に運ばれているのであろう。栽培面積は狭いが、スプリンクラーを備えている農家が多いのは、大消費地のリオ・デ・ジャネイロ市を控えているため、需要と供給が安定していて、応分の収入があるためだろう、と想像した。地形を利用した、動力に頼らない自然流のスプリンクラー潅水の光景もうなずける。土壌も肥沃なようだ。
 交流団員の一人、長野県出身の白旗凉子が「信州のような光景だ!」と思わず口にしたほど、車窓から見た景色は日本の山並みを彷彿させた。パラナ松が見え始め、高度が徐々に上がっていることを示唆していた。
 大塚政義コチア青年リオ州支部長(群馬県出身)の案内で、リオ・デ・ジャネイロ市からバスを走らせた一行は、七月一日の昼過ぎ、テレゾポリスの手前で松岡利治(埼玉県)の出迎えを受け、視察地の松岡農場に向かった。松岡は一九三七年生まれの六十八歳だ。ノーバ・フリブルゴ(Nova Friburgo)のリオ・デ・ジャネイロ寄りの地に七十ヘクタールの農地を所有している。
 海抜千メートルで高原野菜の栽培に適した条件を備えている。まさに〃リオ州の信州〃だ。山間に囲まれた地形の場所でまとまって、これほどの好い条件を備えた土地を所有できるのは「幸運だ」と言う。リオ市からの道中、バスの車窓から見た畑が狭かったことを考えると、まさにその通り幸運だ。ノーバ・フリブルゴに住んで四十三年、今の土地を一九七〇年に入手した。
 松岡はグリーンハウスで葉野菜の水耕栽培を行っている。今は長男が栽培の中核にいるようだ。二段式の水耕栽培のため、土地利用効率が高い。この地域でグリーンハウスを備えている農家は他にない。リオ市からの道中、グリーンハウスを目にすることはなかったので、この説明にも納得がいく。葉野菜はアルファッセが中心で、生産の九五パーセントはリオ市場向けだ。グリーンハウスなので通年栽培ができるのも強みだ。柿も栽培している。畑の周囲には約二百本の桜(緋寒桜)が植えられている。
 後継者に恵まれているのも松岡利治の自慢のタネだ。長男(クラウジオ・マサト)が栽培を、次男(ロウレンソ・キミト)が運搬と販売を、それぞれ担当している。中間業者を通さず、所有している大型トラック二台で毎日リオ市場に出荷している。
 娘のパトリシアはノーバ・フリブルゴ日伯文化体育協会の会長として活躍している。自慢の子供たちを産んだエリーザ夫人は、聖州プレジデンテ・ヴェンセスラウ生まれの二世だ。孫たちを含めて家族全員が農場に住んでいる。
 松岡は田舎にいても、都会に住む人々に負けないような生活を営むことにも心がけており、庭には大きなプールもある。澄んだ空気と山並みに囲まれた松岡農場は信州そのもののようだ。コチア青年の仲間を迎えた喜びは最高潮だったに違いない。つづく (敬称略)

■半世紀のコチア青年=リオ、ミナス州に親善交流の旅=連載(2)=苦労話聞き合える仲=胸のつかえ消え気力蘇る

■半世紀のコチア青年=リオ、ミナス州に親善交流の旅=連載(1)=9月18日記念式典=「多くの仲間に参加してもらおう」

image_print

こちらの記事もどうぞ