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「貢献は末代まで不滅」=コチア青年移住50周年式典=戦後移住者最大の集団=700人が参列し盛大に祝う

2005年9月20日(火)

 「パトロンたちは親代わりになって、我々にコチア産組精神や下元イズムを伝えようとしてくれた。コチアの貢献は末代まで不滅です」。十八日午前十時から文協の国士舘スポーツセンター(サンパウロ州サンロッケ市)で行われたコチア青年移住五十周年記念式典で、同連絡協議会の黒木政助元会長は感極まった様子で熱弁をふるった。主催の予想をうわまわる約七百人が会場に駆けつけ、半世紀の節目を祝った。日本からの約二十人をはじめ、遠くは首都ブラジリアやミナス州、パラナ州、サンタカタリーナ州からも参加があった。
 一九五五年九月十五日、コチア青年百九人をのせたあめりか丸がサントス港に到着したのを皮切りに、六七年一月のさくら丸までの十二年間、約五十回にわたって戦後移住者としては最大の集団である二千五百八人が海を越えた。
 会場となった体育館の舞台正面には、恩人の写真が掲げられた。産みの親であるコチア産組の下元健吉専務、同初代移住課長の山中弘氏、日本全国農業共同組合中央会の荷見安会長ら創立当時の功労者たちだ。すでに他界した約三百二十人に対して一分間の黙祷がささげられた。
 「一獲千金の夢を追い、未開の地に情熱を燃やし挑んだ青年たちを数えあげればキリがありません」。日伯両国歌を斉唱後、高橋一水同協議会会長は五十年の歴史を懐かしいエピソードと共に語った。「しかし、華やかに事業を成功させた者の影で、挫折した者、雄途なかばで病や事故に倒れた者も数多くいたことも忘れてはなりません」。
 日本から出席した外務大臣政務官の福島啓史郎参議は「五十周年を機にますます団結してほしい。私も日伯の架け橋として全力を尽くすことをお誓いします」との言葉を贈った。
 堀村隆彦全権大使に続いて、岩永峯一農林水産大臣の祝辞を同省振興局地域振興課の大原知夫課長が代読。日本側の産みの親である全国農業協同組合中央会の宮田勇会長は「二〇五五年には二、三、四世らを中心に、コチア青年百周年を盛大に催してほしい」との強い期待を表明した。
 さらに全国拓植農業協同組合連合会の大久保?夫会長、家の光協会の小橋三久常任理事があいさつ。
 ブラジル側からは文協の小川彰夫副会長が「これからも五十年まえと同じように夢と希望に燃え、元気よくいろんなことを一緒にやっていきましょう」と呼びかけた。パトロン代表では川上皓(あきら)さん、地元からはサンロッケ市のエファネウ・ゴジーニョ市長が賛辞をのべた。山中イジドロ特別補佐官もロベルト・ロドリゲス農務大臣の祝辞を代読した。
 日本からの慶祝団十九人、伊藤直さんら元パトロン二十一人、下元マリオ氏や慶郎氏など移住功労者六人、歴代会長三人らへ感謝状が贈られた。子どもが八人で孫二十二人と、コチア青年で最も子孫を増やした宮島貞雄=二次三回=貞子夫妻にも渡された。
 県連の中沢宏一会長=二次二十一回=が万歳三唱。続いて鏡割り、ケーキカット、香川公宏前会長が乾杯の音頭をとった。祝賀昼食会のあとアトラクションが行われ、ゆっくりと旧交を温めた。
 故・山中移住課長の未亡人、キクさん(90、北海道)も姿をあらわし、「立派な式典ですね。みなさん、よくがんばられましたね」と感慨深いそうにのべた。
 ブラジリアから出席した木村晴夫さん(72、北海道)=一次十三回=は「こうしてみんなと会えるのが何よりの楽しみ」と喜んだ。
 「一週間まえに聞いて、急いでビザをとり飛んできました」というのは岐阜在住の鷲見謙太郎さん(67)=一次十一回=だ。農業で失敗し三十五年前に帰国。裸一貫からはじめて造園会社を興した。
 誘ったのはタボン・ダ・セーラ在住の鈴木四郎さん(70、栃木)=一次十二回=で「電話したらその場で来るって答えたんだ」と嬉しそうに話す。鷲見さんは式典に参加して「素晴らしい。本当に素晴らしいよ」と語り、旧友との再会を喜んだ。
 なお、当日はパラグアイやボリビアなどからも日系農協代表も集まった。

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