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几帳面、母の血かな=サンパウロ州市警ナンバー2の日系3世=部下は3万4千人、多忙な日々=ルイスさん(56)生い立ち語る

2005年9月22日(木)

 「昔はもっとオーリョ・プッシャードだったんだけどねえ」。巨体をソファに沈めて笑うのは、ルイス・カルロス・ドス・サントスサンパウロ州市警副本部長(56)。約三万四千人が働くサンパウロ州市警のナンバー2。名前や顔から〃日系〃という印象はほぼないが、二世の母親を持つ三世だ。「母の血かな。日本人みたいに几帳面だと思うことがあるよ」
 ルイスさんの母方の祖父母、吉田アサキチ、シズエ夫妻(長崎県出身)は一九一三年、若狭丸で来伯、ミーナス州に入植している。
 サンパウロ州へ転出後、ジャラグア区に居を定め、五人の子供を設けた。次女カルメンさんがルイスさんの母親だ。
 年頃になったカルメンさんに商店の経営を任せ、結婚相手も決めていたアサキチさん。しかし、カルメンさんは、近所に住んでいたペルナンブコ出身のジョアン・マルチンス・サントスさんと駆け落ち。四九年にルイスさんが誕生した。
 厳格だったアサキチさんは当然激怒。カルメンさんを勘当し、子供に吉田姓をつけることを許さなかった。
 ルイスさんの名前は、母親の姓がないルイス・カルロス・ドス・サントスとなり、登録上、日系のルーツは消えてしまう。  カルメンさんは許しを乞う為、何度も実家を訪れた。長い間口を利くこともなかったアサキチさんだったが、数年後ついに折れた。
 駆け落ちから十年が過ぎた五九年、アサキチさんは死去。亡くなる間際にジョアンさんを指差し、「彼はいい婿だ」と病床で話したという。
 「そんな家族の話を母は話してくれたが、日本語を教えてはくれなかった。残念に思うよ」
 ルイスさんはサンパウロが見渡せるセントロにあるサンパウロ州市警本部の十一階のオフィスで語る。
 自分のルーツが持つ言葉や文化を勉強したかった、とルイスさんはいう。
 「日本には、まだ行ったことがない。一回行きたいと思っているよ」
 母親は健在だが、病床にある。「(子供のころ)食卓には白ごはんと味噌汁を作ってくれた。チクワもよく食べたよ」。お袋の味は日本食だ。
 一九六八年、市警で働き始めた。長年刑事を務め、日系社会でも腕利き刑事として有名だった、松尾オスカルと六年間行動を共にしたことがいい経験になっている、という。
 昨年、現職に就き、多忙を極める毎日を送っている。
 「あの時代にサウダージを感じるよ。張りきってやっていたからね。今この体じゃもうダメだけどね」
 大きな体を揺すって笑った。

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