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日本語教育シンポ=多様化する学習者への対応=連載(2)=ドイツ語=異なる移住条件を分析=「戦後は家庭で話さない」

2005年10月5日(水)

 「ドイツ人の祖国とのつながりより、日本人の方が強いのではないでしょうか」。日伯文化連盟主催の日本語教育国際シンポで二日、USP現代言語学科のゲーツ・カウフマン客員教授は、日本移民の歴史と比較する視点から「継承語としてのドイツ語教育」を論じた。
 ドイツで生まれ、ハイデルベルグ大学で博士号を取得した同教授は、九七~〇三年まで南大河州の連邦大学、ことし三月からUSPで教鞭をとる。
 ドイツ人移民(独系)が始まったのは一八二四年に南大河州へ入植したのが、最初だった。国境地帯に屯田制度で組織的に入ったため、最初から広大な土地を無料でもらえ、すぐに自作農となった。大半は永住目的だった。サンパウロやリオなどの大都市から遠く、孤立した地理環境もあって独自の学校網を発達させた。
 対する日本人は、数年で錦衣帰郷することを夢見ていたデカセギ志向が強かった。コーヒー大農園で奴隷同然に働き、資金をためて土地を買った。帰国が前提だったので、日本文化を保持する考え方が強かった。
 独系は一般的に家庭では方言を使い、学校では標準語を教えた。「その差は大変大きく、標準語によるドイツ語教育では、独系としてのアイデンティティ形成にはあまり影響を与えないほど」と分析し、継承語としての比重は方言の方が強かったとした。
 日独両語は戦前戦中の新国家体制で、外国語の教育や新聞の禁止と共に、公の場での使用も制限された。「第二次大戦による影響は大きい。ポ語が分からない教師は教壇に立てなくなった。そのため多くのドイツ語教師は泣く泣く学校を離れざるをえなかった」。
 ことし移住百八十一年を迎える独系コロニア。「戦前は多くの家庭で方言がはなされていましたが、大戦勃発後はほとんど話されなくなってしまいました」という。
 独系はプロテスタントが多く、おなじキリスト教なので「当地のカトリックとはそれほど違わなかった」が、日本人の場合は仏教なので根本的に異なった。ことばもドイツ語はインド・ヨーロッパ語族に属し、日本語に比べれば、ポ語とは近い。「ポ語をおぼえるのにそれほど問題はなかった」という。
 五世、六世世代になってもドイツ語を家庭で使う地域があると聞くが――と問うと、「それは地理的に孤立したごく少ない地域。一般には三世代すぎたらポルトガル語になる」という。「百八十年もの歴史がある分、祖国とは遠くなってしまっている。戦後移民のあった日本人の方がつながりは強いと思う」。
 特に八九年にベルリンの壁が崩壊して以来、ドイツにとっての最大の関心事は旧東ドイツであり、ブラジルにはあまり強くないという。「現在、アメリカや日本でドイツ語学習者が増えているが、その状況を充分に活用できていないのがまったく残念だ」。  つづく

■日本語教育シンポ=多様化する学習者への対応=連載(1)=10年ぶりの本格開催=250人が熱心に聴講

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