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神戸で移民の恩人「平生釟三郎展」=知られざる面に光を=35年移民制限法成立のあと訪伯=貿易通じ両国結びつける

2005年11月24日(木)

 旧神戸移住センター資料室で去る一日、「平生釟三郎展」(ひらおはちさぶろうてん)が始まった。来年一月三十日まで続けられる。国立海外日系人会館推進協議会では、展示会開催のねらいについて「平生は、昭和初期、経済使節団の団長として訪伯したことをきっかけに、日伯両国の貿易・産業の隆盛に貢献したが、日本人移住者のためにも心をくだいたことは、これまで彼の業績として取り上げられることはなかった。この事実を日本人の移住の歴史とともに考えて見よう」と説明してしている。ブラジルの日系コロニアでも知る人ぞ知る、の存在で、広く知られている人ではない。移民百周年を二年半後に控え、展示会主催者たちの着眼は光る。
 展示会の主催は、日伯協会(神戸)、学校法人・甲南学園、国立海外日系人会館推進協議会。平生の位置付けは「大正・昭和の偉大な実業家、教育・福祉・医療に尽くした、ブラジル移住者の大恩人」。
 平生の足跡は――
 一八六五年、岐阜・加納藩士の三男として出生。慶応、明治、大正、昭和と激動の時代を生きた。一九四五年死去。神戸で数々の偉業を成し遂げたとされる。第二次大戦末期に文部大臣に就任している。
 数々の偉業とは、東京海上火災保険(現東京海上日動火災保険)を世界的な企業にもり立て、川崎造船所を蘇らせた実績。教育面では甲南学園をつくり、病苦の人たちを助けるため甲南病院を創立した。生活協同組合の育成にも力をそそいだ。
 三四年、ブラジルで移民の受け入れを制限する法律「外国移民二分制限法」が成立。平生は、経済面から日伯両国の関係を改善し、制限を解こうとした。使節団を組織し、三五年渡伯。その後、綿花売買を通じて外交関係の基礎を築いた。
 日本のためだけを目的にすれば、まとまる話もまとまらない。ブラジルのためになることでないと、見向きもされないはず。そこでブラジル産品を買うという貿易面を結び付けた、と評価される。
 展示会の構成は「ブラジル移住始まる」「平生経済使節団ブラジルへ」「友好呼んだ民間経済外交]「明日の輝きを求めて」。
 日伯協会の黒田公男理事は、展示会開会後ついて、二十二日、「移住とかブラジルの、今までの展覧会より入場者が多い。平生さんがブラジルに行って活躍したということは、初めて知りました、こんな立派な人のことをよく教えてくれました、という声を聞いて嬉しくなります」と伝えてきている。
 すでに、東京海上日動火災保険の神戸支店が社員教育をかねて「平生講演会」を開催、二十六日には甲南学園が「平生シンポジウム」を予定している。

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