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小林さん夫妻シルバー〃再〃移住=20代の日々過ごした地に=40年経て「第2の人生」=日系社会に恩返しを=ボランティア活動に励むつもり

2006年1月4日(水)

 サンパウロの生活は最高! 元移住者の小林慶三郎さん(71、福島県出身)、洋子さん(69、福岡県出身)夫妻が昨年八月にシルバー移住し、ブラジルで余生を楽しんでいる。四人の子育ても日本で無事に終わり、第二の人生は二十代の日々を過ごした懐かしい土地でボランティア活動などに励むつもり。「日本語は通じるし、外国にきた気がしませんね。シルバー移住の窓口機関があれば、たくさんの定年退職者が来るのでは」と話している。
 「かつて、仕事に追われる毎日だった。今回は精神的なゆとりもあり、ブラジル社会を冷静にみることができ、その良さが分かるはず」。二人は夢を膨らませながら、シルバー移住を決心した動機を語った。
 〇五年二月に年金受給者向け永住権取得の手続きを始め、同年七月に永住許可が下りた。九月に渡航し、両親の墓参りなどを済ませて、サンパウロ市リベルダーデ区内のアパートに落ち着いた。
 洋子さんは既に、福岡県人会で二世の事務局長を助け、公文書を作成するなどしている。看護や介護に携わってきた経験から、日系人老人ホームでのボランティアにも活動の場を広げていきたい考え。
 「世話になった日系人のみなさんに、恩返しがしたい」と二人。日本語やソロバン教師、ゲートボールの審判などの依頼が入ってきた。親せきのつてなどで、遠くはエスピリト・サント州からも声がかかるという。
 「あと二年ちょっとで移民百周年。一大イベントに居合わせることができるというのは幸せなこと。日系コロニアに少しでも役に立ちたい」。
 慶三郎さんは五六年に安瀬盛次氏の呼び寄せで、洋子さんは六二年に両親の呼び寄せで渡伯した。六三年に結婚し、二人目の子供が生まれた後、日本に引き揚げることを決意した。六五年のことだった。「子供の教育が心配でした。ここでは、日本語もきちんと教えきれないと思って……」(洋子さん)。
 慶三郎さんは家具店の経営など様々な仕事をした。「当時はどちらかと言えば、一攫千金を狙っていましたから」と明かし、経済的に不安定だった時代を振り返った。
 帰国後、夫妻は東京都内に居住。さらに二人の子供が生まれ、慶三郎さんが自営業、洋子さんが看護関係の仕事に就いて、家計を盛り立てた。
 両親や兄弟が残っていたこともあり、ブラジルと完全に関係が切れたわけではなかった。息子も宮崎県の農業研修で訪伯。定年後に二人で遊びにきたことも。
 「観光ビザだったら、一時滞在しかならないですから」。子供たちが社会人として生活できていると考え、永住権取得に踏み切った。
 ただ、手続きがスムースに進んだわけではなかったそう。無犯罪証明書など様々な書類をそろえるのに苦労。ブラジルの在外公館での対応もいまいちだったという。
 「シルバー移住が盛んになれば、それなりの経済効果も現われるはず。日系団体に窓口機関ができれば、私たちの体験を活かしていろいろ協力できるんだけどなぁ」。

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