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県連・第24回移民のふるさと巡り=ノロエステ巡礼=連載(6)=アリアンサ=続々と80周年迎える=「困難と涙で築いた村」

2006年2月22日(水)

 ふるさと巡り一行は第一アリアンサ会館で行われた慰霊ミサのあと、婦人部が用意してくれた美味しい昼食を食べ、午後三時十分に第三会館へ移動した。敷地内に建つ「富山移住地 第三アリアンサ発祥の地」という立派な記念碑が目を引く。
 ここから半キロほど離れた場所で生まれた、サンパウロ人文科学研究所の宮尾進さん(75、二世)は、「昔と全然違うね」と目を細める。父親の厚(あつし)さんが力行会の実験農場の農場長をしていた。
 開戦前、九歳で長野の実家へ教育のために戻され、そこで信州大学を卒業した。一九五三年の暮れに帰伯した時、約十年ぶりにノロエステ沿線を汽車の車窓から眺めて、「すげえと思ったよ」と思いだす。宮尾さんの記憶では、ノロエステ沿線はみんな原生林だったが、戦争中にも開拓が進み、見わたす限り農園になっていたのに驚いた。
 第三アリアンサの相談役、島崎正男さん(80、長野)は七歳で渡伯、以来ずっとこの地を守りつづけている。「こんなにたくさんの人が来てくれてうれしい。こりゃ、いいことですよ」と歓迎する。
 婦人部の用意してくれた冷たいカランボーラ(スターフルーツ)などの新鮮なジュースで一息つく。生き返る思いだ。
 島崎さんは一行の名簿をみて、「出身県に加えて、元アリアンサとか出身移住地を書いておいて欲しい。特に女性は苗字が代わると分からなくなる」と注文した。
 第三は六十周年を祝った十九年前から四十五家族で、現在にいたるも変化なしと語りながらも、「若い人がミランドポリスの町に出てしまい、仕事をしにこっちに来ている人が増えている。だんだん離れていくのでは心配」している。
 来年入植八十周年を迎える。「この体育館は七十周年で建てた。私も八十歳で元気ないから、八十周年では、せめて掛け声だけでもかけたい。その時には、みなさんもぜひ来てください」と呼びかけた。続いて、第三の成尾弘毅会長も「八十周年をどうするか、頭ひねって考えています」と語った。
 第一が二〇〇四年に田中康夫・長野県知事を迎えて盛大に創立八十周年式典を行ったことは、記憶に新しい。今年は第二、来年は第三と立て続けに記念式典が予定されている。
 一行の和田一男さん(81、二世)子どもの頃、ミランドポリスに住んでいた関係で、実は島崎さんと野球友だち。「いやあ、四十年ぶりかな」と固い握手を交わした。島崎さんも「言われるまでわかならかったよ」と破顔一笑した。
 午後四時、駆け足で第二会館へ。壁には「昔のアリアンサを思い出そう」というパネル展示。野球チーム、配耕図、農機具などの写真が説明付きで飾られ、セピア色の移住地黄金期を彷彿とさせる。
 かつて入植者一千人を数えた時代もあったが、現在はその七分の一、三十八家族が暮らす。鳥取県から七人目の日本語教師も派遣してもらっている。
 第二の佐藤勲会長(66、二世)は「困難と涙で築いた村を守って行かなければと思っています」との決意を語った。「一アルケールの土地は誰にでも買える。そんな人が五十人いたらファゼンダになる。その利益で村は潤う。消えない村になっていくことを願っています」との個人的なアイデアを説明し、支援を呼びかけた。
 七月後半に予定される創立八十周年記念式典には、鳥取県からも十数人の来賓がくる見通し。子どもたちの劇、蓄音機や昔の農機具はじめ貴重な写真などを集めた展覧会の準備を進めている。
(つづく、深沢正雪記者)
   ◇    ◇
[訂正]連載第一回に「名越ツギオさん(82、北海道)」とあるが(87)の間違い、第三回に「通訳五人組の一人の中でも、上塚は」とあるが「上塚は」に訂正。

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