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コラム 樹海

 陶酔する国民――。毎年カーニバルの季節になると、しみじみ思う。サンパウロやリオのサンバ会場のTV中継映像はもちろん、サルバドールの巨大音響車、マナウスのカルナ・ボイでも、見渡す限りの群集が音楽に合わせて飛び跳ねている。こんな光景は日本では見たことない▼エスコーラ・デ・サンバのコラソン(心臓)はバテリア(打楽器隊)だ。通常の音楽ならメロディや歌詞が重要だが、打楽器隊にそれはない。つまりサンバではリズム、グルーブ感が命なのだ。カーニバルの熱狂は、このような原始的な音楽形態から生み出される。バテリアは三百人以上から構成されるが、これだけの打楽器奏者が合奏するスタイルは世界的にも見あたらない▼勝ち負けは大事だが、祭典の真髄は陶酔できるかどうかだと思う。採点において、豪華さや技術以上に、パレードの一体感、観客のノリが重要視される。普段は貧しいから、その時だけ豪華に振舞う。辛いから発散する。哀しいから楽しむ。人生の喜怒哀楽の全てが込められ、陶酔によって昇華される▼サッカーの応援しかり、命がけで熱狂する姿は老若男女を問わずだから、国民性そのものかも。だから、ルーラ大統領がいくら理詰めで責められても、ノド元過ぎれば国民はすっかり忘れ、カリスマチックな彼の言動に賛同を贈る。セーラ市長やアウキミン知事のような理知的なタイプは人気が出ない。昨年の文協会長選挙の異様な盛り上がりも、やはりその当たりから来たものだろうか▼カーニバルが終わった早朝、新聞を買いにバンカに行ったら、売り子にからんでいた乞食がいみじくも言った。「次はコッパだな」。さらに大統領選挙が控える。今年は陶酔の年になりそうだ。(深)

06/03/02

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