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勤勉で実直=PSDB大統領候補=アウキミンサンパウロ州知事=「コメの里」ピンダ出身=日系コロニアとも身近=気軽に「こどものその」バザーへ

2006年3月17日(金)

 勤勉で実直──。ジェラウド・アウキミン・サンパウロ州知事(53)が十四日、PSDB公認の大統領候補に選出された。チエテ川の環境改善事業やメトロ四号線工事などを通じて、日本とのつなりが深い人物。日本祭り(県連主催)の会場に訪れたり、こどものその(井口信理事長)の記念式典に出席するなど、日系コロニアにも身近な存在でもある。
 サンパウロから百五十七キロのピンダモニャンガーバ(PINDAMONHANGABA)。日系人が戦前から米作に励んできた、バーレ・デ・パライーバ地方の町にアウキミン知事は生まれた。一九五二年十一月七日のこと。幼いころから、日常生活の中で日系人との接触があったはずだ。
 「真面目な努力家だったですねぇ」。鈴木シゲキさん(55、自営業)は、四十年ほど前の同知事の人柄を懐かしんだ。人物像は今の姿とも重なる。
 州立のインスティトゥト・ジョアン・ゴーメス・デ・アラウージョ(今の教育制度で高校に当たる学校。現在は技術学校になっている)で同窓生だった。
 日系人生徒との付き合いは当時、ほとんどなかったという。「彼は恵まれた家庭に育ち、銀行員や医者の子供たちが入るクラスで学習していた。日系人はほとんどが農家の子で貧しかったですから……」。
 それでも、顔を合わせれば挨拶を交わした。鈴木さんは「痩せていて背が高く、女の子にすごくモテルタイプではなかったけど、勉強熱心でした」と冗談交じりに語る。
 同市には、日本人会(会員数・百二十家族)が存在。運動会などを企画している。以前は、イベントの時に政治家に招待状を送付したこともあった。会場に姿を見せてくれないことなどから、現在は地元日本人会と政治との接点はあまりないのだという。
 アウキミン知事とつながりが深い、日系団体といえばどこか。真っ先に頭に浮かぶのが、「こどものその」だろう。ここ四~五年だけでも慈善バザーや創立四十五周年の式典などに出席。井口理事長(サンパウロ州財務局政務次長、69)とは、三十年来の友人だ。
 「彼がピンダモニャンガーバ市長で、私がフェラース・デ・ヴァスコンセーロスの市長。軍政の時代だった。共にバーレ・デ・パライーバの町。所属政党も同じ野党のMDBで、意見交換などをした」(同理事長)。
 より親密な友情関係になるのは、アウキミン知事が九四年、下院議員に当選してから。
 井口理事長が補欠議員になっており、ブラジリアの執務室にちょくちょく通った。「私も議員になりたかったので、『いつ大臣に就任するんだ』と冷やかしたもんです」。同知事は九四年にサンパウロ州副知事になり、空いた椅子に井口理事長が座ることになった。
 このような付き合いに基づいて、同知事はこどものそのの行事に足を運んでくれる。
 日本の姉妹園、るり学園の村上修好園長に、バンデイランテス章が授与され、授与式が〇二年八月文協ビル貴賓室で開かれた。西田康二評議員会会長は「本来なら知事公邸で式が行われるはず。でも知事自ら文協まできてくれたんです」と、その時の感激を忘れることができない。
 井口理事長はアウキミン州知事の人柄をよく表すものとして、次のようなエピソ―ドを紹介した。
 「チエテの工事の第一段階が終わって、日本に報告にいった時のこと。予算が余っていたのですが、彼は正直にそれを伝え、その上で第二段階への支援を求めた。日本側が実直さに驚いたそうです」。

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