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教え子達が贈った=訪日「花見」=佐藤ふみえさん82歳、若返る=セルケーラ・セーザル日語校の佳話=閉校後も恩師忘れず

2006年3月30日(木)

 〇一年に閉校した日本語学校セルケーラ・セーザル校(ピニェイロス)の元教師(校長)の佐藤ふみえさん(82)が、二十七日、日本の花見旅行に旅立った。この旅行は、教え子たちの恩師へのプレゼントだった。教え子たちは、非常に静かに、計画をすすめた。実現してからも黙っていた。だから、ふみえさんの次女エリさん(55)が、感謝して、明らかにしなければ、美しい話は表に出ることはなかった。
 セルケーラ・セーザル校は、一九六一年から二〇〇一年まで、四十年間、日本語学校として実績をあげていた。
 今度、ふみえさんに日本旅行をプレゼントした卒業生たちは、エリさんによれば、三十年ほど前に同校で学んだグループ二十人ほどである。特に代表といった人はいないというが、昨年の忘年会でふみえさんを囲んだメンバーをみると、画家の小田エルザさんの顔がみえる。
 「日本に行ってらっしゃい」とすすめがあったのは昨年の半ばごろだった。ふみえさんは、二〇〇〇年によき協力者だった夫を亡くしてから、学校を閉め、失意の日々であった。また、転倒してケガをし、リハビリを続けていた。
 卒業生たちは、毎年、ふみえさんの誕生祝いをしてくれた。元気のない恩師を慰めようと、申し出たのが訪日のすすめだった。
 ふみえさんは、体力に自信がなかったのか、それを受けるかどうか迷ったようだ。当初は「受けない」という気持ちのほうが強かった。その後「花見」の時期に、というさらなるすすめに、気持ちが変わり、訪日を決意したのだった。
 日本での受け入れは、三女のルリさん(東京在住)である。体調が万全でないので、教え子たちの厚意は受けたが、日本で特にこうする、こうしたい、といった計画はない。だから、訪日目的は「花見」である。出発が決まってから、ふみえさんの表情がかわった。エリさんは「娘の私の目で見ても、二十歳は若くなったような」と驚いた。
 エリさんは、二十八日午後「本来なら、(母の日本旅行は)娘の私がやってあげなければならないことだった。今度、卒業生の方たちからの、申し出をきき、こんなことが(母に)起こるなんて、と驚きました。本当に感謝しています」と母親の訪日を喜んだ。

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