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ワイン『コルメニータ』復活=パ国=日本人移民発祥の地で=ラ・コルメナ=移住70周年に華添える=15日式典

2006年5月9日(火)

 パラグアイ最初の日本人移住地ラ・コルメナでこのほど、地元ワイン「コルメニータ」が復活した。四月二十九日にはアスンシオン市内で「ラ・コルメナ産一〇〇%、〇六年度・新酒&古酒きき酒会」と銘うった試飲会が開催され、大勢のコルメニータ愛飲家や支援者がパラグアイ国産ワインを堪能した。ぶどうの町ラ・コルメナで同国初の国産ワインとして誕生した「コルメニータ」。醸造をやめてから十余年後の復活に、関係者の表情は明るい。今年はパラグアイ日本人移住七十周年。コルメニータの復活は、コルメナで今月十五日に開かれる記念式典に大きな花をそえることになる。
 ぶどうの穂木がブラジルからラ・コルメナに導入されたのは一九四八年。結実を待って、五一年にワインの生産が始まった(本紙二月二十一日付け既報)。国産ワインの誕生である。穂木を導入したのも、ワイン醸造を始めたのも日本人移住者だ。
 『コルメニータ』の商標で国民に親しまれ、徐々に消費が増えて最盛期には年間七十万リットルの醸造を記録した。が、時代の流れには抗しようもなく、為替の変動、ビールの普及、ワインの近隣諸国からの流入、という三大強敵に屈服を余儀なくされ、九〇年代中期に醸造断念に追い込まれた。
 果物としてのぶどうはラ・コルメナ特産品として今日まで継続的に栽培されている。今年一月の「ぶどう狩り」も大盛況だった(本紙一月十八日付け既報)。『コルメニータ』の潜在的愛飲家からは復活を期待する声が移住地に寄せられていた。
 去る二〇〇四年二月、日本の名門サントリーで永年醸造業務に携わってきたベテランの米田七郎さんがJICAシニア・ボランティアとして移住地に赴任してきた。十年余に及ぶ醸造者の無念を晴らし、愛飲家の期待に応える時が到来した。
 早速、米田さんの指導で醸造に取り組み、復活ワインの「きき酒会」開催にこぎつけた。この道の専門家の立場から「同じ南米大陸でも、ラ・コルメナ地域はブラジルやアルゼンチンなどとぶどうが育つ環境が違います。ここで育ち得る品種は基本的に生食用で、ワインには適していないのです」と逆境を解説する。
 そのような逆境を克服しての『コルメニータ』の復活はラ・コルメナ移住者の〝情熱〟の復活でもある。パラグアイ版「村おこし運動」とも言えよう。
 試飲に供された新酒ワインはカンピーナスとマスカットぶどうを材料とした《赤》とニアガラ・ロサーダの《ロゼ》の二種類。梅酒やいちご酒、古酒のさくら酒なども会場を飾った。
 「昔はもっと水っぽかったが、今年のはいいね」と復活を待っていた愛飲家の一人、旅行業を営む荒槇正身さんは評価する。ボランティアとして日本から来ている二十代の今川清香さんは「飲みやすく、フルーティーな感じ。飲み過ぎちゃいそう」。若い女性も魅せそうな味わいだ。
 「良いワインだ。努力によってもっと良くなるだろう」と関係者の努力を称えたのは夫人と共に試飲した飯野建郎特命全権大使。その大使のもとでシェフを勤める澤義一さんは「食前酒にもなる。水や炭酸で割っても飲めそうだ。皆さんに勧められる」、とプロ料理人の評価も高い。
 「品種の個性を引き出したワインが出来たと自負しています」と二年間の任期を述懐する米田七郎さん、表情は明るい。パラグアイにおける日本人移民発祥の地(ラ・コルメナ)では十五日に七十周年記念行事が挙行される。この日は『復活コルメニータ』の出番でもある。(渡辺忠通信員)

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