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移住開始から半世紀=ドミニカ裁判、7日に判決

2006年5月30日(火)

 【東京支社】二〇〇〇年七月十八日、原告百二十六名が外務省を相手に争う訴額二十四億九千万円のドミニカ日本人移民(第一次)裁判が東京地裁ではじまり、約六年後の本年六月七日、やっと判決が下されることとなった。
 「カリブ海の楽園」と称されたドミニカ共和国に、日本政府が移民を送り出したのは一九五六(昭和三十一)年だった。第一次入植者二十八家族百八十五名を乗せた「ブラジル丸」は七月二日、横浜港を出帆。同月二十八日、ドミニカ共和国トルヒーヨ港(現サント・ドミンゴ港)に入港。
 以後、三年にわたり二百四十九家族千三百十九家族がダハボン、ドベルヘ、ハラバコアヤ、アルタグラシア、ネイバなど八カ所に入植したが、楽園どころか不毛の地であった。約束された土地の配分もなかった。困窮する中で集団帰国、南米転住が行われた。そして一部の人びとが残留した。
 訴訟は残留者によって始まったが、その後、帰国者も加わり、二〇〇一年第七月、二次提訴。八月に第三次提訴がなされ、二〇〇五年十月十七日の第二十二回口答弁論で結審。原告総数百七十七人(うち物故者十六名)の裁判となり、ようやく今回、日本移住史上、最大の裁判の判決が言い渡されることになった。

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