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胸に輝いた旭日単光章=中西忠勇さん栄誉

2006年6月8日(木)

 サンパウロの総領事公邸で、六日午後、中西忠勇さん(95、石川県出身)に対する旭日単光章の伝達式が開催された。
 中西さんは一九三三年、先に移住していた家族を追って来伯。サントス沿岸部でバナナ栽培を行った。
 四二年にコチア産業組合に加入。「皆、苦労してたよ。仲介人に(利益を)とられてたんだ」。組合員を組織化し、当時ポルトガル人やイタリア人が中心だったアルゼンチン向けのバナナ輸出の道を開いた。「日本人にできないわけがない。輸出の先達をしたわけだ」。
 また、四九年、二十人ほどの人を集め、カラグァタツーバ郡ゼツーバ植民地に新たなバナナ生産地を築いた。六八年、同植民地が長雨による山津波被害にあった際には、復旧対策委員長として、四年間、陣頭指揮をとった。
 「泥に押し流されて、山の下に住んでいた人や農地が埋もれた。本当に貧乏した。ひどかった」。他のコロニアからの自発的な協力も得て復旧に尽力する。
 八〇年代にサンパウロに移動した後、石川県人会会長を十三年間(八四―九六)、県連会長を一期(九二―九四)務めた。海外在留日本人に対する選挙権付与に関して日本政府に働きかけるなどし、その功績は大きい。
 「自分が価するのかと思うところもあるが、天皇陛下から栄えある栄誉をもらうために生き長らえてきたようなものです。体調を崩してからは家族の優しさで生きています。あと二年、命をもらえるように願いながら、日本移民百年に日本からの知人に会えるのを楽しみにしています。今日はコロニアを代表する人に来てもらい、ありがたい」と中西さんは受章の喜びを語った。
 また「今、日本移民百周年に向けてコロニアの人が取り組んでいるけど、もし元気であれば第一線に出ていきたい」と話し、「百年目はしっかりやってもらわんと」とエールを送った。
 会場には、上原幸啓文協会長、松尾治県連会長、酒井清一援協会長、重岡康人老ク連会長ら約二十人が集い、中西さんの栄誉に拍手を送った。

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