ホーム | 日系社会ニュース | 俳誌『朝蔭』の巻頭句射止めた!=バストス草分け=卆寿たね子さん囲む祝賀会=慣例により賑やかに=「お蚕を上げ吾娘の嫁入り支度する」=岡山の戦前の実家思い起こして

俳誌『朝蔭』の巻頭句射止めた!=バストス草分け=卆寿たね子さん囲む祝賀会=慣例により賑やかに=「お蚕を上げ吾娘の嫁入り支度する」=岡山の戦前の実家思い起こして

2006年6月10日(土)

 「奇跡がおきました」。八日、バストス市内のレストランで、同地在住七十八年になる草分け、本田たね子さん(90)を囲んで祝賀会が開かれた。自分の俳句が『朝蔭』(五月号)の巻頭に選ばれたことを喜び、そういって顔をほころばせた。
 たね子さんが所属するバストス仙人掌吟社の同人は、自分の句が巻頭を飾ると、俳句仲間を招待して食事会を催す慣例となっている。年齢を思わせない元気さで、バストスでは知らない人がないと言われる名物おばあちゃんだけあって、お祝いは、家族や仲間のほかに、豊島重幸副市長、大野吾朗文協会長まで出席する賑やかなものになった。
 祝福の言葉に対し終始照れ笑いのたね子さんだったが、頭の老化防止にと続けてきた俳句の腕前がいよいよ円熟の域に達した結果だろう。
 「お蚕(こ)を上げ吾娘(あこ)の嫁入り支度する」という巻頭句は、バストスだけにこの季語ならお手のものだったかと思わせるが、意外なことにたね子さんはバストスで蚕を飼ったことがない。
 岡山の実家が大きな養蚕農家だった。「お蚕を上げたからやっと嫁入り支度ができる」、そう親たちが語り合っているのを思い出して作った句だ。今でも、部屋という部屋で蚕を飼い、人が小さくなって暮らしていた頃の様子をありありと目に浮かべることができるという。当時の日本の農家としてはありふれた光景でもある。
 大正四年(一九一五年)生まれのたね子さんは、今年で九十一歳になる。十六歳でやってきたバストスは、まだ原野の残る開拓初年度の移住地だった。戦後の混乱期には、認識派だった夫あてに弾丸が届けられたこともあった。
 いろいろな苦労はあったが、ここで結婚し、二男四女を育てた。「のん気なブラジルが好き。私はここに骨を埋める」そう話すたね子さんは、バストス草分け組みの数少なくなった一人として、六月十八日にはバストス開拓七十八周年先亡者慰霊祭に臨む。

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