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コラム 樹海

 学生の頃からの剣道は教士6段の腕前で政界随一の使い手とされた。ブラジルを訪問したときにも、サンパウロで現地の剣士と稽古して汗を流し爽やかな印象を植え付けたのも懐かしい。文協首脳との話し合いでは「日伯学園の建設」構想を語り、日本も全面的に協力すると言明。カルドーゾ大統領との会談でも、協力を要請するという力の入れようであった▼こんな夢のような計画も、現地側の事情で有耶無耶になってしまったけれども、橋本龍太郎元首相は政策通で知られる。父・龍伍氏の死で後継者として衆議に当選すると、霞ヶ関に通い課長らの話に耳を傾けて行政を学び政策の力をつける。派閥は苦手だったらしいが、首相にまで上り詰める。だが、不良債権に苦しむ経済の立ち直りのときに政策の誤りがあったの批判は強い▼無論、官庁を減らし今のようにした省庁再編の功績は大きい。大蔵省を財務省にし郵政省を総務省に統合したのも橋本政権なのである。外交では日米同盟関係を再構築し、普天問飛行場の返還合意など沖縄米軍基地の縮小に尽力したのは橋本首相とクリントン大統領だったことも忘れまい。だが、不起訴になったとはいえ、一億円の献金隠しは、名誉ある政治生活には相応しくないものだった▼これによっての政界引退は寂しかったし、旧橋本派にもかっての力はない。それにしても、6月下旬の緊急入院で「腸管虚血」と診断され大腸の大部分を手術で取り除くを知ったときには「危ないな」の印象も強かったが、まさかの旅立ちである。行年68歳は、あまりにも若すぎる。合掌。   (遯)

06/07/11

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