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コチア市で=コチア産組を忘れず=爽やかな九月、合同慰霊祭=種が実に、子孫が残った=合言葉「ミサ毎年やっていこう」

2006年9月26日付け

 忘れることのできないコチア産業組合の絆を強く――元コチア産業組合関係者の合同慰霊祭が、二十三日、コチア市内の日本公園で行われた。参加者は元役員、組合員、従業員やコチア青年ら、約三十五人。天候に恵まれて、さわやかな風が吹くこの日、集まった〃仲間たち〃はともに過ごした日々を振り返り、先没者の冥福を祈った。
 同慰霊祭は、コチア産業組合清算委員会、コチア青年連絡協議会、コチア旧友会の共催。組合の創立に携わり、コチア青年移民に尽力した下元健吉さんが死去した一九五七年の翌年から実施されてきた。
 整備の行き届いた日本庭園のある公園内には、舞台上に座席が用意され、参加者は互いに挨拶を交わした後、席についた。教会の呼びかけにボランティアで集まった約二十人の女性コーラスグループが賛美歌を奏で、三人の司祭が祈りを捧げる。参加者は手を握り、うつむいて、響く歌声を聞いていた。
元専務理事の下元慶郎さんが参列者の参加を激励。旧友会の上村ジョージさんが「忘れることのできない、このコチア組合。種から始まり、枝が伸びて木になった。今、木は死んでしまったけれども、実となって子孫が残っている」と感慨深く話し、「毎年ミサを行っていくことは、亡くなられて人の喜びでもあるだろう」と締めくくった。
 コチア青年連絡協議会会長の高橋一水さんは「これからも続けられる人で、この慰霊祭を続けていきたい」と話した。
 ミサの後には、公園内にあるコチア産業組合発祥の地のモニュメントや下元健吉さんの胸像、フェラースさんの胸像、組合創立の石碑に献花を行った。
 「雄飛なかばにしてこの地に眠る同志の冥福を祈る」と刻まれたコチア青年先没者慰霊碑の前で記念撮影をし、「また来年」と挨拶を交わすと、一同はそれぞれに帰路についた。
 旧友会会長を務める志村啓夫さん(92)は、「二、三年の好景気と不景気の繰り返しだった。六〇から七〇年代が、最後の好景気だった」と振り返る。「コチア組合で思い出すことはたくさんある」。一世の時代は七〇年ごろで終わり、経営は二世に変わった。「経営陣が不足していたのかな」。
年々、慰霊祭への参加者は減少している。高橋さんの下、昨年コチア関係者の実態調査を行った。訪れた参加者は、亡くなった仲間の名前が記された「過去帳」を懐かしそうに眺めていた。

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