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大耳小耳

2006年10月25日付け

 「政府や日系団体をはじめ皆さんから宝物のように扱ってもらい、百歳になるまで応援してもらいました。この場を借りて厚く御礼申上げます」――。笠戸丸移民唯一の生存者で今月十一日に百歳の天寿をまっとうした中川トミさん。二十一日の県連四十周年で浪曲「上塚周平」を披露した甥の中川芳月さんは、会場で感謝の言葉を語った。「百周年までは、本人も到底だめだと思っていたでしょう。でも百歳まではと頑張っていた」という。「みごと百歳まで生きてくれた」と話す芳月さん。「(笠戸丸)七百九十一人の生き残りとして立派に幕を引いてくれたと思います」、声を詰まらせながらのあいさつに、会場から大きな拍手が上がっていた。
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 先日の県連四十周年式典。冒頭の国歌斉唱で君が代のテープがなかった時には、さすがに驚いたが、幸い羽田宗義顧問がマイクを握り、窮地を切り抜けた。考えてみれば、昔はテープやマイクなどなかったはずだ。移住地でもオルガンの伴奏があったくらいだろう。一世なら歌詞は知っているはず。実際今回もテープを流すときより、声を出して歌っていた。むしろ、無伴奏で歌った方が荘厳な雰囲気が出ていいかも知れない。
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 花期が終わっても生きているような花を楽しむことのできる「押し花」。最近は「〃ウエデイングブーケ〃を押し花にしてほしいといった注文が多い」と聞いた。なるほど、これなら思い出の花束を枯らすことなく一生持っていられる。でもブーケは式場で投げるものでは?
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 高貴な色だから、というわけかどうかは知らないが、紫色だった文協貴賓室の壁。催しものをする委員会などから、不評を買っていたが塗り替えられることになった。来月一日に行われる「第十回日伯工芸展」(文協工芸委員会主催)までには、お色直しが終了する。チンタ代は同工芸委員会が負担するよう。

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