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コラム 樹海

2006年12月27日付け

 フッチボールの国際試合でブラジル代表が戦えば、ブラジル人は、よほどのヘソ曲がりでない限り、我を忘れて熱狂的に応援する。個人競技で国際大会に勝てば、ブラジル人選手は、国旗を自身の体に巻き付ける。「ブラジルをもっとアピールしたい(世論や大衆に訴えたい)から」の意思表示と思われる▼ほかの事例はたくさんあろうけれども、これらの行動はブラジル人の「愛国心」の発露の一端である。この心をだれが教えたのだろう。少なくとも、競技場で熱狂しなさい、とは教えられていないだろう▼日本で教育基本法の改正が政治課題になり、さきに国会で与党案が可決された。今後「愛国心を教える」教育が具体化していく。愛国心は、教えるものではない、という主張はややもすれば消されがちだ▼教えるものではない、とすれば、どういうものなのか。最近の議論のなかで説得力があったのは、人を愛することから説かれた論だ。人間は相手を愛する前に、まず相手に魅力を感じ、相手をとことん知ろうとする、知り得て初めてかけがえがない人だとわかる。相手が国でも同様でないか、というのだ。つまり、愛国心を教えるのでなく、国について知らせる教育こそ肝要、といっている▼愛国心は一朝一夕には育まれない。仕事のないブラジルからデカセギした人たちは愛国心が揺るがないのか。古い日系人は養国ブラジルといい、ブラジルへの愛国心を垣間見せる。愛国心とは、しょせん自身以外には分からないものかもしれない。(神)

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