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(1)百周年=後半からようやく「加速」=執行委員長交代で再起動

2006年12月29日付け

 年頭、堀村隆彦大使(当時)は「加速の年に」とハッパをかけたが、百周年記念協会は二月に要の総務委員長を交代させ、日本外務省側の「箱モノは難しい」との再三の発言にも関わらず一部役員は箱モノ四事業にこだわり、相変わらずの硬直状態だった。
 記念事業の準備を加速させるため、四月に執行委員会が発足した。二カ月に一回の理事会では進まないとの考えから、同等の権限を持つ執行委員会を毎月行うという試みだ。ところが箱モノ関係代表も執行委員会に名をつらねるなど、問題の構図がそのまま執行委員会に持ち込まれた形になり、やはり身動きできないまま時間ばかりが過ぎた。
 八月初め、〇七年度の日本政府概算要求に入れてもらうよう、百周年全事業の計画案が提出されたが、箱モノが含まれるなど再三の日本政府側の意見を無視したものとなり、「受付は六月まで」と断られた。これで日本側からは〇八年四月以降しか予算が下りないことが確定。記念協会の計画性のなさが露呈された。
 八月末に、ようやく転機が訪れた。それまで兼任していた上原幸啓理事長が、執行委員長職を辞すことを表明。吉岡黎明氏も総務委員長職を辞任。新執行委員長探しが行われ、〃火中の栗〃を拾う役割を松尾治県連会長が担うことになった。
 十月、松尾執行委員長は箱物四事業を〃あと送り〃する方針を打ち出し、まずは自力で資金集め、実現可能なプロジェクトだけを厳選し、〇八年の祭典を立派に執り行うことなどの「現実路線に大幅修正」する意向を表明し、ようやく「加速感」がでてきた。
 財務委員長に中矢レナート氏が就任し、新年から募金キャンペーンが始められる構想が発表された。
 さらに十一月十四日付けでルーラ大統領が連邦政府レベルの百周年国内組織委員会を作る制令を発布。日本側でも一月に実行委員会を発足させるべく、東京で第一回準備会合がもたれた。
 十二月初旬に、日本でポ語新聞やテレビ番組を制作運営するIPC社が、百万レアル寄付を申し出た。同月十四日にはブラジル外務省のアジア・オセアニア局長との初懇談も行われ、一気に「加速の年」にふさわしい様相を呈してきた。
 同月、文協評議員会では、文協ビル改修計画を百周年事業にするプランを検討しはじめた。
 この勢いを失わず、新年一月末には練り直し作業を終え、両国政府への協力要請を再提出することが求められている。

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