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和井援協名誉会長が死去=日伯友好病院建設に尽力

2007年3月6日付け

 サンパウロ日伯援護協会(援協)の和井武一名誉会長が五日午前七時半ごろ、肺ガンのため日伯友好病院で亡くなった。享年九三歳。告別式は六日午前十時から、日伯友好病院第八診療所(Ambulatorio Nr.8、Rua Soldado Joao Perreira da Silva,261)で執り行われる。十一時出棺、十二時ごろにサンパウロ市のアラサー墓地(Av.Dr.Arnaldo,300)に埋葬の予定。
 和井氏は一九一三(大正二)年十月、兵庫県宍粟郡波賀町出身。東京外国語学校(現・東京外国語大学)ポルトガル語部貿易学科卒業。戦後、五二年に渡伯した。
 五五年にサンパウロ市ラッパ区で「伯星貿易」(五八年にブラストレーラへ社名変更)を創業し社長に就任。九四年から同社会長をつとめた。
 八三年からサンパウロ日伯援護協会理事、八七年から副会長を歴任した後、九五年から二〇〇五年三月まで会長をつとめた。
 八七年六月には日伯友好病院の建設にあたり、建設委員会副委員長として当時の竹中正援協会長ら関係者と資金募金のため訪日するなど尽力。
 会長在任中には同病院増築工事(一期、二期)のほか、特別養護老人施設「あけぼのホーム」や児童教育施設「奄美事業所」の開設、スザノ市の高齢者施設「イッペランジャホーム」の新築事業を実現するなど、長年にわたり日系社会の福祉・医療事業に力を注いだ。
 会長勇退後は援協で四人目となる名誉会長に就任。日伯友好病院経営審議会会長のほか、援協創立五十周年事業として進められている福祉センター(仮称)建設委員会の名誉会長でもあった。
 援協での活動以外にも、ブラジル兵庫県人会長(七五~八六年)をはじめ、文協評議員会副会長、CIATE副理事長、救済会理事など多くの日系団体で役職を歴任している。
 八八年には兵庫県知事から功労賞、九一年に日本政府より勲五等双光旭日章を受章。二〇〇〇年にブラジル政府よりリオ・ブランコ勲章を受章、〇一年にはサンパウロ名誉市民権を受けた。
 なお、通夜は五日午後九時から日伯友好病院で行われた。

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